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2019年

 

クリスマスというのはどうしてこんなにも虚しい気持ちにさせるんだろうか。

クリスマスというよりも年末感が強くて、こんな22歳でいいのかと若干不安になる。

 

2019年はいろいろなことがあった。

 

仕事は、18歳から介護職を始めて丸3年が経った。

正直、介護の仕事は性に合っていたと思う。誰かの役に立ちたい、困っている人を助けたいという気持ちから福祉に携わることを決めたけど、3年はあっという間だったと思う。患者さんに好かれることは得意だったし、患者の気持ちに寄り添うこともできていたと自負する。私がいることで患者さんの孤独感やさみしさが、少しでも軽減されていたならうれしいな。

私は認知症の患者さんが大好きでした。私のことなんて名前も覚えられないし、毎日同じことをしていても、今日初めて行うような反応に最初こそ戸惑ったが、3年も接していれば慣れてしまう。私のことを覚えていなくても、「あなたはいい子なのよ、私この子大好き」と言ってくれる患者さんに何度救われたか分からない。「あなたが病室に入ってくると病室がパッと軽くなるのよ」と言ってくれた患者さんの家族、妊娠していることを知って相談に乗ってくれた患者さんの家族、「文ちゃんがいなくなったら死んじゃう」と真顔で言う患者さん、私の笑顔を見ただけでにこにこ笑ってくれる患者さん、いろんな患者さんや家族の人の優しさにふれて働けたことを幸せに思います。同僚は年上ばっかりだったけど、みんなに優しく甘やされて育って、3年間ぬるま湯に浸かって生きてきたな、という感じです。

 

妊娠が発覚してから仕事を辞めるまで本当に早かったけど、力仕事だからと言って同僚がたくさん助けてくれたことが嬉しくて、申し訳なかった。戦力外といわれているようで苦しかったのも事実です。その反面、文ちゃんがいなくなったら病棟大変になるなぁと言ってくれた先輩の気持ちは計り知れないくらい嬉しかった。

送迎会兼忘年会の時に、みんなから直筆の色紙をもらって、思わず泣きそうになりました。愛されていたんだなと思えました。そのあと、一番お世話になった仲のいいナースと思い出話をしたら号泣しちゃったな。明日からもう出勤しないんだって思ったらさみしくなった。仕事をしていくうえで、意見の合わない人や上司のやり方と自分のやり方が合わなかったり、体が限界で辞めようと思ったことも何度もあったけど、思い返せばなんだかんだ好きに囲まれていたんだなと。続けてよかったなと思えます。

 

恋愛面では、4年半付き合った恋人と別れ、博多弁の大学生と付き合い1年弱で別れ、今の好きな男と出会った。怒涛の一年だった。まさか出会って半年の男と結婚することになるとは思わなかったな。去年の私が聞いたらびっくりして泡吹いて倒れるんじゃないか。でも出会ったときにこの人と結婚してもいいかなって思ったんだよね。人生って不思議だな(小並感)。好きな男は私が好きな男を想うよりずっと私のことを好きで、すごいなあと思う。自分のことが好きになれないのは相変わらずだけど、そんな自分を認めてくれて、好きでいてくれて、この先の将来が約束されている事実ってすごいな。異世界みたい。

 

妊娠した時のことを話すと、自分が子供を持つなんて考えたことなかったから正直、戸惑った。どうしようって思った。自分みたいなやつに子供を育てられるのか、母親みたいに虐待してしまうんじゃないかっていう思いが脳裏をよぎった。怖かった。なにより、産みたい、産みたくないの決断が難しかった。好きな男に「文ちゃんはどうしたいの」と聞かれて答えられなかった。『どうしたい』がないことでこんなに悩むとは思っていなかった。もともと、自分を強く持っているほうではなくて、今まで何となくで生きてきた。そんな自分が誰かの人生を決めるということは、私にとって本当に難しかったのだ。堕ろしてまでやりたいこともなかったが、産むと決めるのも覚悟がいるものだった。好きな男は私に意思がないことをわかっていたのだと思う。「産むにしても堕ろすにしても、文ちゃんの好きにしていいよ」と言った。私の意志が一番大切だと言った。

気持ちが固まらないまま母親に報告した時、母親はたぶん泣いたのだと思う。泣いてるの、と聞くと泣いてないよと言ったけれど。母親は「産まなかったら後悔するよ」と言った。その時初めて母親は兄の前に一人、妹の後に一人、中絶しているのだと聞かされた。「産みたかったけど、」と話す母親は弱々しかった。「お母さんは子供がいてよかった?」その問いに母は言葉通り苦笑いしたけれど、後悔はしていないのだろうなと思った。

母親に報告した後、4年ほど会っていない父親に電話で報告した。父親はさほど驚いた様子もなく、「どっちにするにしても他人にこうしろと言われて決めたら後悔するから、自分で決めなきゃだめだよ」と、小さい子供を諭すように優しい口調で言った。母親と父親は10年前以上前に離婚し、それからあまり関わり合いはなかったけれど、父親も私の親なのだなと思った。「パパは子供がいてよかったって思う?」私は母親に聞いた時のように、同じことを父親にも聞いた。「うん、よかったよ」父親から返ってきた言葉を聞いて、私は涙がこぼれた。父親がそんな風に思っているとは思わなかったからだ。

10年以上前に離婚し、「自分の子供だと思えない」と父が言ったのを知っているからだ。愛されなかった子供の私が、存在してていいんだよと言われているような気持ちになった。ちゃんと愛されていたんだということを知った。

私も愛したいと思った。おなかの中にいる小さな私と好きな男の子供を。

産むと決めてからも、おなかの中に子供がいることがなんだか信じられなかった。産婦人科に行ってエコーを見て、動いている子供を見て本当にいるんだ…と口に出したくらいだ。今は5ヵ月に入り、胎動も感じられるようになって、おうおう元気で何よりという気持ちになる。好きな男におなか蹴ってるよというと好きな男がにこにこして私のおなかに手を当てるあの瞬間は幸せだなと思う。

 

好きな男が北海道に転勤して2ヵ月が経った。転勤が決まった時期に、私の妊娠が分かった。長ければ2年ほど北海道に転勤だと聞かされた私に、好きな男と離れて一人で産んで育てるという選択肢はなかった。仕事を辞めたのもそれがきっかけだ。1年だと決まっていたら産休を取って復帰したかったけれど、2年となると話は変わってくる。12月半ばに北海道に来た私は、積もる雪や関東にいたころをは比べ物にならない寒さに戸惑った。だけど1週間もいれば慣れるものだな。人間は適応力があるなと思う。仕事を辞め、専業主婦になってからは毎日が暇だ。昼間は無気力で何もしたくなくて布団にくるまっていたら日が暮れる。夕方になり、夕飯の支度、好きな男に持たせるお弁当の準備、洗濯物などをやる気が起きてくるのだ。いままでがむしゃらに働いていたから、未だにこの生活にはなれない。好きな男はそんな私も優しく包みこむ。ちびすけが生まれたら休めないんだから今のうちに休んでおきなよというのだ。確かにそうかもな、と思い今日も夕方まで布団にくるまっていた。自分が母親になる実感はいまでもない。でも生まれたらかわいく思えるのかな。好きな男はもうすでにかわいいと思えるらしい。すごいな。

 

2019年、いろんなことがあったけど、来年はもっと早く時が過ぎるのだろうな。もっと沢山いろんなことが起こるのだろうな。今の願いは、どうか、この幸せが壊れませんように。ただそれだけだ。

 

メリークリスマス。