'97

21g

誰かが隣でねむっていると、とても安心する。

私の隣でねむる確率の高い人は恋人なのだが、友達が泊まりにきたときに一緒のベッドでねむった時も、すぐにねむれた。

おそらく、寝息を聞いて安心できるのだろう。

実家に帰った時も、子ども部屋でねむると弟や妹の寝息が聞こえる。ひとりじゃないと思わせてくれるのだ。

 

大好きな患者さんが亡くなった時の喪失感は、とても言い表せない。昨日まで確かにそこにあったものが、今日は無いのだ。さっきまで暖かかった体が今はもう冷たいのだ。あの冷たさはふれた人にしか分かれない。

人間は死んだらどこへ行くのだろう。魂の重さは21gらしい。では魂が消えたらどこへ行くのだろう。どこまで行けるのだろう。きっと死んでも分からないのだろうな。

大好きな患者さんが亡くなったのに泣くに泣けず、目の前の仕事を確実に片付けることしかできなかった。誰もいなかったらきっとワンワン泣いてたろうに。泣きたいのに涙が出ないのは、泣くことよりも辛い。泣きたいのに笑顔でいなければいけないことほど辛いものはないだろう。

 

想像してしまう。

いつか自分の家族が、恋人が、亡くなることを。それはきっと近い未来では無い。だけれど遠い未来でもないのかも知れない。昨日は確かにここにあるものが、明日には無くなってしまうことの怖さ。病気ならすぐに死ぬことはあまりないだろうが、もし不慮の事故に巻き込まれてしまったら、もし誰かに殺されてしまったら、もし自分で命を捨ててしまったら、もし…。

そんなifばかり考えて悲しくなる。

 

不毛だ。

未来のことは分からない。分からないことは怖い。想像して勝手に不安になってしまうのならもうどうしようもない。だけどこの恐怖と上手に付き合って行く方法を私は知らない。

 

私が死んだら誰か悲しんでくれるのかな。

私が死んでも恋人は力強く生きてくれるだろうか。初めは無理でも、少しずつ前を向いてくれるだろうか。

死ぬときは、誰の心にも残りたくない。誰かの心に呪いを植え付けてしまうくらいなら、死に囚われて自分すら蔑ろにしてしまうのなら、私は今まで関わった全ての人の記憶から跡形もなく消えたい。死ぬってきっと、そういうこと。

 

人間は二度死ぬらしい。一度は肉体として、もう一度は誰の心からも消えたとき。そうなのかな。もしそうなら、二度も殺したくないな。私だけは覚えていたいな。そう思うくせに、自分は誰の心にも残りたくないとは卑怯だこと。本当はずっと覚えていてほしい。思い出すなんてしないで片時も忘れないでほしい。だけど、忘れられないことで苦しむのなら最初からなかったらいい。そう思うだけ。