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共に生きれない日が来たってどうせ愛してしまうと思うんだ。

毎日ご飯が食べられること。食欲があること。私の作るご飯を美味しいと言ってくれる人がいること。好きな人たちと働けること。帰る家があること。私のことを好きだと言ってくれる人が何人かいること。ひとりでなんでも出来ること。好きな人が生きていること。

 

とりあえず、幸せだと思うことを述べてみた。意外と少ない。幸せの中にいるとその幸せに気づかないものなのだろうな。

失って初めて大切だったと気づくことばかりで、まさに後悔先に立たず。

 

食欲があることが嬉しい。ご飯を美味しいと感じる自分がいることが嬉しい。幸せの定義は人それぞれだけど、小さな幸せを見つけられるような人間になりたい。

例えば、天気が良くて嬉しくなるとか、桜の蕾を見つけて嬉しくなるとか、店員さんに丁寧な接客をされたとか、患者さんにありがとうと言われたとか、そういう本当に小さいことでいい。

不幸だと嘆く人間にはなりたくない。幸せだと、今に満足していると言いたい。現状維持が怠惰だとは思わない。なにより難しいことだと思う。優しさに溢れていたい。だけどその優しさが裏目に出ないように。強かで在りたい。どんな時も大らかでありたい。なかなか難しいけれど。

 

何もかも巡り合わせであり、運命なのだと思う。東京に住んでいなければ好きな男とは出会わなかった。恋人がいなければ今の職場で働くこともなかった。あんな家庭でなかったらこんなに人の気持ちを理解しようとはしなかっただろう。

なにもかも運命なのだと私は思う。なにがあっても受け入れたい。ああこれが運命なのだなと。諦めるのではなくて、受け入れて、飲み込んで、立ち向かいたい。

 

死んじゃうかもしれないと思うくらい辛いことが20年生きてればそこそこあった。愛されないと泣く夜が確かにあった。愛されていると感じて泣いた夜だって、確かにあった。忘れたくないことだらけなのに、いつの間にか忘れてしまうことばかりだ。支えてもらったし、愛してもらった。おんなじだけ支えたし、おんなじだけ愛した。どちらかがではなくて、同じだけだと信じたい。

 

誰かと共に生きていく上で必要なのは、価値観の違いを許せることだと知った。言わなければいけないことを言えることだと知った。

恋人とのifを考えて虚しくなる。会いたいなと思ってしまう。でも会ったら戻れなくなる。一人暮らしを始めたこの家にも、好きな男の元へも。

 

分かってたつもりなのに、わかってなかったみたい。会ってしまったらどうしようもなく愛していることに気づいてしまった。いや、本当はもっと前から気づいてた。気づかないように必死だった。

全て捨てて、恋人だけがいればなにもいらないって本気で思った。恋人の寝顔を見つめて、時間が止まればいいのにって本気で思った。またねって言う恋人に行かないでって言いたかった。離さないでって、離れないでって言いたかった。言えなかった。

 

好きな男のことは好き。大好き。でも恋人のことは途方もなく愛してる。恋人のためならなんでもできた。我慢できた。許してきた。でも限界だった。耐えてたら幸せになれたのかな。分かんないけど。

 

恋人が、泣きそうな顔で文ちゃんのこと好きみたいって言ったとき、やっと止まった涙がまた溢れてきた。泣かないでって涙を拭う恋人に抱きついた。お互い好きだったのに、すれ違って、離れて、戻りたいって思って、泣く。

恋人のことを考えない日はない。不誠実だと思う。好きな男に好きよって言われて胸が痛かった。恋人のことこんなに愛してるなんて気づきたくなかった。

 

気づきたくなかったな。