'97

言えない

 

「文ちゃんはさ、もう少し俺に甘えた方がいいよ」

 

そう言われてしまうのは何度目だろうと思った。

私は甘えられない。関係が近しいほど、信頼を寄せれば寄せるほど、甘えられない。嫌われたくないとか、こんなことを言ってしまったらという不安もある。でも一番は迷惑をかけたくないという気持ちだと思う。迷惑をかけたくない、手を煩わせたくない、自分で何とかしようという慢心である。

 

「思っていること言わないから、正直今文ちゃんが何考えてるか分かんねーわ」

先日好きな男に言われた言葉が胸に刺さって痛い。朝、些細なことがきっかけで好きな男に別れると言われた。冗談なのは分かっていた。好きな男が私を愛していることは知っている。本気で言っているはずがない。分かっている。でもそれだけは、冗談で言っていい言葉じゃないと思った。だからそっけない態度を取った。そしたらそんなことを言われて絶望した。「俺が悪いとか嫌だと思う部分があったならそれでいいけど、最近イライラしてばっかりで、何考えてんのかわかんない」そう言われた。私はいつも言われてしまう。4年半付き合った人にも、何度も何度も言われた。「思っていることを言って、話して、甘えて」と。私には4年半、ずっとそれが出来なかった。相手を信用していないわけではなかった。本気で嫌われるとも思っていない。これはただ、私の心の問題だ。

 

幼少期、親に甘えられなかった。だから今更どうしてに甘えたらいいのかわからない。私だって甘えたい。助けてって言いたい。でも甘え方を知らないのだ。どうしても言えない。どう伝えたらいいか分からない。私が休んでしまったら、好きな男が頑張らなくてはいけなくなってしまう。私が頑張れば済む問題、私が我慢すればいい、迷惑かけたくない、苦しい思いをしてほしくない、休める時休んでほしい。そんな気持ちばかり先行して、その思いとは裏腹にずっとイライラしてた。なんで私ばっかりって思ったらおしまいなのに、なんで私ばっかりって思ってた。あなたはいいよねって思ってしまった。ああ汚い。汚い自分が見え隠れしてしんどい。

 

「文ちゃんが俺に甘えられるだけの余裕がなかったかもしれない」「俺はすぐ甘えるよ。文ちゃんごめんちびすけ見てほしいとか、眠いから寝るわとか」「文ちゃんだけが悪いわけじゃない」

好きな男は優しい。すごく優しい。私を労わってくれるし、なにかやることはあるかと事あるごとに言ってくれる。私はそのたびになにもないよと言った。少しでも休んでほしかったから。でも呑気に眠っている好きな男を恨めしくも思った。自分が頑張りすぎてしまう方なのは理解している。でもどうやって息を抜いたらいいか分からない。働いていないことに負い目を感じている。家事掃除洗濯育児をしているだけで、辛いとか苦しいとか言ってはいけないような気がして。こんなこともできない自分はなんて情けないのだろうと思わずにはいられない。

 

甘えることが怖いのだ。嫌な顔をされたり、迷惑だと思われたり、疲れてんのになどと言われてしまったら立ち直れる自信がない。好きな男が在宅ワークで家にいるのに、朝起きたちびすけが泣き続けていることにイライラした。そんなに仕事が大事なのかと怒鳴りたかった。仕事と家庭は比べるものではない。分かっている。ちびすけが大事じゃないわけないのも分かっている。今手が離せない状況なのも重々承知の上だ。それでも毎日明け方にならないと眠れない私には酷だった。日中もちびすけが寝なければ私も眠れない。平日ならなおさらだ。少し寝かせてほしいと一言いえばそれで済む問題だったのに、言えない私はずっとムスッとした顔で、好きな男とも目を合わせず、イライラしていた。「可愛くない、直してほしい」と言われた。到底できる気がしないが、分かったと言わなければこの話し合いが永遠に終わらないような気がした。相手に何かを言われると、いつも責められてる気持ちになる。お前が悪いのだと言われているような孤独感に陥る。ああまただと思ってしまう。また相手に不快な思いをさせてしまった。好きな男を苛つかせてしまった。自分はダメなやつなんだ。しんどい。

 

好きな男が悪いわけじゃない。私自身の問題だ。4年半付き合った人にも何も言えなかった。やってほしかったこと、直してほしかったこと、一緒にやってほしかったこと、全部言えなかった。だからダメになった。言わなくても察してよなんて通じないのは分かってる。言葉にしなければ伝わらない。当たり前だ。分かっている。分かっているけど、喉の奥につかえたまま言葉が出てこない。相手の負担になりたくない。でも十分負担になっている。しんどい。

 

甘え上手な女はそりゃ好かれるわな、と思う。そりゃそうか。言いたいこと何も言わないやつより、思っていることを言って、考えを摺り寄せて、より良い方向を目指せるほうがいいに決まっている。分かるよ。私もそうなりたい。いつになったらなれるのか。いつになったら変われるのか。いつになったら私は私のこと好きになれるんだろうか。もしかしたらずっとこのまま変われないんじゃないか。ずっとしんどい。ずっと嫌い。自分が一番嫌い。好きになれない。多分一生。