'97

受け取るばかりの愛だった。

 

いずれ全て失うのだ。或いは。

 

もう終わりにしようと告げた。

数秒間の沈黙の後、なにを、と尋ねる声はひどく悲しそうだった。

 

恋人のいる人生が正しいのか、好きな男のいる人生が正しいのか、最早私には分からなかった。もし未来がわかっていたらあんなに泣くこともなかっただろう。私が恋人を想う気持ちは好意ではなく執着心なのではないかと思ってしまった。恋人の隣を歩きたいのではなく、恋人を支配しておきたかったのではないか。私の中に留めておきたかったのではないか。私が隣を歩かなくても、永遠に私を好きでいてほしかった。恋でも愛でも無く、ただの執着心だったのだろうか。

 

恋人の彼女に嫉妬心すら抱かなかったのは、恋人がずっと私を好きでいてくれるからだと思った。それは恋人からの愛に対して自信があったからだ。でも普通なら、好きな人が自分以外の女と日々を過ごしていたら嫉妬するものではないのだろうか。私がおかしいのだろうか。

 

付き合ってもいないのに別れ話というのはおかしな話だろうが、その最中、恋人は財布と携帯だけ持って立ち上がった。「どこに行くの」と掠れた声で聞いた。「少し出てくる。」聞き取れるか聞き取れないかくらいの声の大きさで恋人は言った。

「帰ってくるよね」確認せずにはいられなかった。恋人がもうこの家に帰ってこない気がした。

「帰ってくるよ」

 

私は恋人の帰りをひたすら待った。

 

恋人に沢山沢山酷いことを言われた。恋人になにを言われても仕方がないと思った。恋人を選ぶと思った。私もそう思ってた。だけどこの気持ちが恋でも愛でもないと分かってしまった以上、また恋人同士にという訳にはいかない。嫌いになったわけじゃない。今だって気持ちはある。でもそれが恋なのか愛なのか、はたまた情なのか。分からないんだ。また前の生活に戻るのが怖い。好きだよって言われて私も好きだよって言えないのが辛かった。好きなのか分からなかった。恋人はなにも悪くない。悪いのは私だ。

 

恋人と生きていかない道を選択した。

極端な話、恋人が死んでいても私は知ることができない。私はそれが怖かった。恋人がいて当たり前だった。空気だった。今更好きとか嫌いとかそんな問題じゃなかった。愛だと思ってた感情は愛じゃなかったのかもしれないと思ったら怖かった。恋人に会えるのが楽しみではなかった。着飾ることも、部屋を掃除することもなかった。自分をさらけ出せる人だった。楽だった。これは愛じゃなかったのかもしれない。

 

そう思う反面、会いたいと思う自分もいて本当に自分がどうしたいのか分からない。吐きそうだ。

 

私が答えを出す前、恋人はずっと怯えてた。「もしかしたら好きなのは俺だけじゃないかって思うんだ」「自信がないんだ」耳にタコができるくらい聞いたセリフだ。それだけ聞いていたのに選ばなかった。わかんない。わかんない。

 

永遠にあるものだと思ってた。延々続くものだと思ってた。エンドロールなんて流れないはずだった。終わりにしたのは私だ。大袈裟なのだ。私も恋人も。この選択が人生なのだ。

 

恋人はいつか私の前からいなくなる。一切の痕跡すら残さずに。そうなった時、私には泣く資格がない。嘆く権利もない。私が選んだ道だ。恋人をいつまでも縛り付けてはいられない。

恋人の顔を見た瞬間涙が溢れて止まらなかった。どうしたのと私の涙を拭う恋人の優しさが痛かった。ごめんと何度も言った。謝られても困ると言われて辛かった。でも私より恋人の方が辛かった。

 

身体中の水分が恋人に奪い取られるようだった。人生であんなに泣いたのは初めてだった。自分でもなんの涙なのか分からなかった。恋人を失いたくないゆえの涙なのか、恋人を傷つけることが怖かったのか、自分が傷つくのが怖かったのか。文ちゃんは自分のことを守ってばっかりだねと恋人に言われた。その通りだった。本当は傷つくのが怖かった。自分の身を守ることに必死だった。好きな男と一緒にいたいくせに、恋人も失いたくないなんて我儘すぎる。自分がこんなに我儘だとは思わなかった。

 

今でも分からない。恋人を捨てる道が正しいのか分からない。好きな男を選んだ私は幸せになれるはずがない。いつか全部なくなる。いつか私も同じ目に遭う。だって大切な人をあんなに泣かせて傷つけて、それで幸せになれるわけがない。未来がこわい。いつか気持ちが変わることが怖い。いつか私も同じ目に遭う。幸せになれるはずがない。

 

これでもう終わりなの、もう会えないのは嫌だという恋人を突き離せなかった。会いたくない、嫌いだと言えたらどんなに良かっただろう。「文ちゃんは俺のこと好きだよ、だってどうでも良かったらこんなに泣かないでしょう」と言われてぐちゃぐちゃになった。これでもう会えない、嫌いだと言われたら私は死んでしまうだろう。そう思うのに恋人を選べなかった。残酷だ。

 

この気持ちがなんなのか分からない。好きなのかもしれない。恋人が私の目の前から跡形もなく消えるのが怖い。こわい。こわい。

 

 

 

いなくならないでという資格が私には無い。

 

 

 

共に生きれない日が来たってどうせ愛してしまうと思うんだ。

毎日ご飯が食べられること。食欲があること。私の作るご飯を美味しいと言ってくれる人がいること。好きな人たちと働けること。帰る家があること。私のことを好きだと言ってくれる人が何人かいること。ひとりでなんでも出来ること。好きな人が生きていること。

 

とりあえず、幸せだと思うことを述べてみた。意外と少ない。幸せの中にいるとその幸せに気づかないものなのだろうな。

失って初めて大切だったと気づくことばかりで、まさに後悔先に立たず。

 

食欲があることが嬉しい。ご飯を美味しいと感じる自分がいることが嬉しい。幸せの定義は人それぞれだけど、小さな幸せを見つけられるような人間になりたい。

例えば、天気が良くて嬉しくなるとか、桜の蕾を見つけて嬉しくなるとか、店員さんに丁寧な接客をされたとか、患者さんにありがとうと言われたとか、そういう本当に小さいことでいい。

不幸だと嘆く人間にはなりたくない。幸せだと、今に満足していると言いたい。現状維持が怠惰だとは思わない。なにより難しいことだと思う。優しさに溢れていたい。だけどその優しさが裏目に出ないように。強かで在りたい。どんな時も大らかでありたい。なかなか難しいけれど。

 

何もかも巡り合わせであり、運命なのだと思う。東京に住んでいなければ好きな男とは出会わなかった。恋人がいなければ今の職場で働くこともなかった。あんな家庭でなかったらこんなに人の気持ちを理解しようとはしなかっただろう。

なにもかも運命なのだと私は思う。なにがあっても受け入れたい。ああこれが運命なのだなと。諦めるのではなくて、受け入れて、飲み込んで、立ち向かいたい。

 

死んじゃうかもしれないと思うくらい辛いことが20年生きてればそこそこあった。愛されないと泣く夜が確かにあった。愛されていると感じて泣いた夜だって、確かにあった。忘れたくないことだらけなのに、いつの間にか忘れてしまうことばかりだ。支えてもらったし、愛してもらった。おんなじだけ支えたし、おんなじだけ愛した。どちらかがではなくて、同じだけだと信じたい。

 

誰かと共に生きていく上で必要なのは、価値観の違いを許せることだと知った。言わなければいけないことを言えることだと知った。

恋人とのifを考えて虚しくなる。会いたいなと思ってしまう。でも会ったら戻れなくなる。一人暮らしを始めたこの家にも、好きな男の元へも。

 

分かってたつもりなのに、わかってなかったみたい。会ってしまったらどうしようもなく愛していることに気づいてしまった。いや、本当はもっと前から気づいてた。気づかないように必死だった。

全て捨てて、恋人だけがいればなにもいらないって本気で思った。恋人の寝顔を見つめて、時間が止まればいいのにって本気で思った。またねって言う恋人に行かないでって言いたかった。離さないでって、離れないでって言いたかった。言えなかった。

 

好きな男のことは好き。大好き。でも恋人のことは途方もなく愛してる。恋人のためならなんでもできた。我慢できた。許してきた。でも限界だった。耐えてたら幸せになれたのかな。分かんないけど。

 

恋人が、泣きそうな顔で文ちゃんのこと好きみたいって言ったとき、やっと止まった涙がまた溢れてきた。泣かないでって涙を拭う恋人に抱きついた。お互い好きだったのに、すれ違って、離れて、戻りたいって思って、泣く。

恋人のことを考えない日はない。不誠実だと思う。好きな男に好きよって言われて胸が痛かった。恋人のことこんなに愛してるなんて気づきたくなかった。

 

気づきたくなかったな。

 

 

‘‘俺のことは早く忘れて普通の女の子として幸せになって’’

 

「俺にも少し前から彼女がいるよ」

そう元恋人に言われた。なんとも思わなかった。

強がりでも虚勢でもなく、本当になんとも思わなかった。そんなことよりもたわいもない話が出来ることが嬉しかった。

元恋人にLINEをブロックされたと知った時、仕事中だったのに泣き崩れた。好きな男と別れたくないけど元恋人も失いたくなかった。自分がこんなにわがままだとは思わなかった。だけどもうとっくに私のものではなかった。元恋人はずっと私だけのものであると思っている部分があった。どこからそんな自信が湧いて出てくるんだ。おかしい話だ。

 

元恋人が誰かのものになったというより、元恋人との唯一の糸すら途切れたような気持ちになった。これで終わったんだと思った。元恋人の中で私との関係は完全に終わったのだと思い知らされたようだった。でもやっぱり諦め切れなくて、最後の不在着信の意味が気になって、そのことばかり考えてしまってどうしようもなかった。私から終わりにしたはずなのに未練タラタラで笑う。そんなに好きだったなら嫌われる勇気を待てばよかった。自己保身もかなぐり捨てて何もかも伝えればよかった。元恋人のせいじゃない。私が悪かった。言えなかった私が悪かった。今更もう遅いよって元恋人に突きつけた言葉が脳裏をよぎる。元恋人に吐き捨てたセリフが全て自分に返ってくるようでしんどい。

 

元恋人に「文ちゃんを忘れるのはむつかしい。」「彼女といても文ちゃんと過ごした日々を思い出す」と言われてびっくりした。私もそうだったからだ。

腕枕をされながら好きな男の寝顔を見た時、元恋人の寝顔と重なって見えた。好きな男の受け答えに対して、元恋人ならこう言うだろうなと思った。好きな男と一緒にいる時間に元恋人を想う。この街で一緒に暮らしていたらどんな生活が待っていただろうと考えてしまう。

なんて失礼なやつなんだろうと自分でも思う。好きな男はきっと知らない。私がどれだけ元恋人を愛していたか知らない。どれだけ泣いたかもどれだけ傷つけたかも知らない。ごめん。好きな男の腕の中で元恋人のことを想うような不誠実な女でごめん。

 

「文ちゃんは好きな男と元恋人、どっちが好きなの?」と言われた時に答えられなかった。好きな男のことは好きだけど、元恋人のことは今でも愛しているんだと思う。もうこの先の人生であの人ほど愛せる人がいないと断言できるほど愛してた。この先一生何があっても忘れない。ごめん。未だにこんな気持ちでグズグズしててごめん。過去にしたくないよ。でもこれも全部私のわがままだ。ごめん。君にもらった言葉、全部返す。君こそはやく私のことは忘れて、普通に生きて、普通の幸せを手に入れて。忘れられなくてごめん。ごめんね。

 

優しいは易しい

人を傷つけるなら、自分が傷つく方がよっぽどいい。

 

人の気持ちが分かりすぎてしまうから、私がこう言ったら、こういう態度を取ったら、傷つくだろうなと考えて胸を痛める。だけどそれって「こうであってほしい」という思いなのかなと思った。私の言葉で、態度で傷ついてほしいという思いなのかな。もしそうだったら滅茶苦茶嫌だな。

 

大切な人を差し置いて、私だけ幸せになるなんて許されるのかな。突き放すことも、抱きしめることもできないのが一番残酷だと知っているのに。

 

人を傷つけるより、自分が傷つく方のが易しいもんね。他人に刃物を向けるより、自分に刃物を向ける方が容易いのと同じで。

 

言いたいことも言えないで、言わなきゃいけないことも言わないで、それで察してほしいだなんて烏滸がましい。大切になればなるほど大切なことを言えなくなっていく。

誰といても、誰に愛されても、誰に抱かれても、愛されないと思いながら生きていくんだろうか。きっと幼少期に愛されているという実感を持たずに生きてきてしまったからだ。何もかもそのせいだ。そうやって環境とか、誰かのせいにし続けて生きていくのはダサいよなあ。

 

幸せになんてなれなくていいから、あの人に私の分の幸せを分けてなんて思えないし、幸せになれるならなりたいけど、他人を押しのけてまで自分の幸せを願う域には達していない。

 

どうでもいいけど、とりあえず朝から出会えてよかったなんて言わないで。泣くから。

21g

誰かが隣でねむっていると、とても安心する。

私の隣でねむる確率の高い人は恋人なのだが、友達が泊まりにきたときに一緒のベッドでねむった時も、すぐにねむれた。

おそらく、寝息を聞いて安心できるのだろう。

実家に帰った時も、子ども部屋でねむると弟や妹の寝息が聞こえる。ひとりじゃないと思わせてくれるのだ。

 

大好きな患者さんが亡くなった時の喪失感は、とても言い表せない。昨日まで確かにそこにあったものが、今日は無いのだ。さっきまで暖かかった体が今はもう冷たいのだ。あの冷たさはふれた人にしか分かれない。

人間は死んだらどこへ行くのだろう。魂の重さは21gらしい。では魂が消えたらどこへ行くのだろう。どこまで行けるのだろう。きっと死んでも分からないのだろうな。

大好きな患者さんが亡くなったのに泣くに泣けず、目の前の仕事を確実に片付けることしかできなかった。誰もいなかったらきっとワンワン泣いてたろうに。泣きたいのに涙が出ないのは、泣くことよりも辛い。泣きたいのに笑顔でいなければいけないことほど辛いものはないだろう。

 

想像してしまう。

いつか自分の家族が、恋人が、亡くなることを。それはきっと近い未来では無い。だけれど遠い未来でもないのかも知れない。昨日は確かにここにあるものが、明日には無くなってしまうことの怖さ。病気ならすぐに死ぬことはあまりないだろうが、もし不慮の事故に巻き込まれてしまったら、もし誰かに殺されてしまったら、もし自分で命を捨ててしまったら、もし…。

そんなifばかり考えて悲しくなる。

 

不毛だ。

未来のことは分からない。分からないことは怖い。想像して勝手に不安になってしまうのならもうどうしようもない。だけどこの恐怖と上手に付き合って行く方法を私は知らない。

 

私が死んだら誰か悲しんでくれるのかな。

私が死んでも恋人は力強く生きてくれるだろうか。初めは無理でも、少しずつ前を向いてくれるだろうか。

死ぬときは、誰の心にも残りたくない。誰かの心に呪いを植え付けてしまうくらいなら、死に囚われて自分すら蔑ろにしてしまうのなら、私は今まで関わった全ての人の記憶から跡形もなく消えたい。死ぬってきっと、そういうこと。

 

人間は二度死ぬらしい。一度は肉体として、もう一度は誰の心からも消えたとき。そうなのかな。もしそうなら、二度も殺したくないな。私だけは覚えていたいな。そう思うくせに、自分は誰の心にも残りたくないとは卑怯だこと。本当はずっと覚えていてほしい。思い出すなんてしないで片時も忘れないでほしい。だけど、忘れられないことで苦しむのなら最初からなかったらいい。そう思うだけ。

軌跡

恋人と付き合って4年が経った。4年。4年かあ。感慨深い。

 

私がどれだけブスでもメンヘラでも恋人に捨てられない理由は一つしかないとおもう。

 

私がまだ17歳だった頃、恋人と出会って3ヶ月の頃。私が14歳から親交があった大切だった人と今後一切の連絡を断った。これから先、一生会わない、そう言われた。人間ひとりで二人の人間と同時に付き合って行くのは不誠実だ。どちらか選ぶべきだと言われて、大切な人は私が大切な人を選ぶと信じて疑わなかった。だからそんなこと言ったんだとおもう。私が選ばれる立場だったら絶対に言えないもの。

 

恋人と恋人関係にありながら、私は大切な人のことも大切に思っていて、会いに行ってた。一回や二回でなくて何回も。そこに男女の関係はなくて、保護者みたいな感じの関係だった。親にも友達にも言えない、私が感じていることをその人にだけは言えて、絶対にそれを否定しない、受け止めてくれる、そして答えを提示してくれる。だから楽だったし、自己肯定にも繋がった。

 

私が恋人を選んだ理由は、好きだったから。

ただそれだけ。

 

さっきも言ったけど、大切な人のことを男の人として見たことが一度もなくて、保護者のような、悪友のような存在だったのがひとつ。もうひとつは距離。電車で1時間かけなければ通えない距離だったし、当時高校生だった私には電車賃が痛かった。文ちゃんが望むなら週一で会える環境をつくるって言われたけど、そもそも好きっていう感情はなかったから、どうしてそこまでしてくれるのかわからなかった。これは本当に。

 

私が恋人と出会った頃、家にも学校にも居場所がなくて、常に孤独と同居しているような気持ちで、みんなは複数なのに私は一人で悲しくて死にたかった。

私は素直でないから、恋人と恋人関係になる前、恋人に助けてほしくて、孤独感から逃れたくて連絡したことがある。そしたら女と一緒にいる、駅まで送ってるって言われて、もっと死にたくなった。結局ひとりなんだなって思った。甘えられる側の人間の方がこの世界は有利に動いてるんだなって思った。私はいつも放って置いても大丈夫だろうと思われる側の人間だ。

 

その時に、私は何も言ってないのに大切な人がなぜかそれを察して、1時間半かけて会いにきてくれたことがあった。バイクで、わざわざ会いにきてくれた。くだらない話ばっかりしてた。文は待つのが苦手なのに、待っててくれてありがとうって言われたのを覚えている。

 

孤独な時に連絡して会いに行く関係は期間にして3ヶ月くらい、密にあった。恋人と付き合ってからもそれは続いた。その時に恋人を沢山泣かせてしまった。私は恋人のことが好きだったけど、自分が弱っている時に大切な人に沢山沢山助けてもらったから、放ってもおけなかった。

 

恋人に、ひどいことを沢山言われた。一番傷ついたのは、文ちゃんのこともう諦めたいって言われたこと。

「俺、もう文ちゃんのこと諦めていい?もう疲れた」

弱々しく、寂しげに笑った恋人。あの表情が脳裏にこびりついて離れない。恋人は自分に興味がなくて、誰かが幸せになるなら自分はどうなってもいいとすら思える人。「文ちゃんのしたいようにして。文ちゃんが一緒に居たいって思う限り俺はずっとそばにいるよ。一緒に居たいと思ってくれるならどんな時も離れない」そんな風に言えてしまう人。

傷つけたんだなってはっきり分かった。自分が誰かに傷つけられるよりも、自分が誰かを傷つける方のが心は痛むのだと知った。恋人と駅の改札で別れた後、ひとりになって沢山泣いた。恋人と離れたくないと思う気持ちと、私の孤独感を必死に埋めてくれた大切な人、どちらも私にとってはなくてはならない存在だったからだ。

 

恋人のことを沢山泣かせた。私は恋人に酷い言葉を沢山もらって呪いとして背負ったけれど、恋人はきっとそれ以上に傷ついた。私だって沢山酷いことをした。

泣いている恋人を置いて大切な人に会いに行ったこともある。「俺もう無理かもしれない。今日ベッドから起き上がれなくて、涙が止まらない」そう言われて私は居ても立っても居られなくて、大切な人に会いに行くと恋人に伝えた。黙って行くことの方が私にとっては不誠実だったから。恋人に「そんなにあいつが大切なのかよ。俺は文ちゃんにとってどういう存在なの」泣かれたのに見捨てた。

私だってどうしたらいいかわからなかった。どっちも手放したくなかった。どっちも大切だった。だけどそんな理屈は通用しないんだよね。恋人は私と別れたらこの先誰とも一緒に居られないと言った。私も恋人を他の人になんて渡すつもりなんてなかった。だけど、だけど。

 

あの時期は苦しかった。心も体も疲弊していた。沢山泣いたし沢山泣かせた。あの時の苦しみや悲しみや絶望や失望を、忘れることはできないと思う。

 

大切な人に言われた言葉で一番印象に残ってる言葉。最後に交わした言葉。

 

「一生幸せにな」

 

その言葉にどんな意味が込められてるか私はこの先一生知ることができない。もう会えない。私たちの人生が交わることはこの先、一生ない。本当に私に幸せになってほしいと思えたの?それとも見栄だったの?私にそう告げたあと一人で泣いていたの?ちゃんとご飯は食べられてる?元気にしている?笑顔になれてる?ちゃんと生きている?

 

そんな事も分からない。もしかしたらもう私のことなんて忘れて人生を歩んでるかもしれない。それとも、私のこと忘れられずに生きてる?

前者の方が、私は嬉しいな。

どうか幸せに、前を見て、必死に生きてほしい。笑われてしまうかもしれないな。住所も誕生日も血液型も知らない。だけど私たちは心で繋がっていた。今はもう会いたいとすら思わない。顔も声も忘れた。だけど私のために泣いてくれたあの夜のことはちゃんと覚えているよ。私のために涙を流してくれたのは大切な人だけじゃない。沢山いる。母親も、恋人も、学校の先生も、友達も、みんな私のことを思って泣いてくれた。抱きしめてくれた。大丈夫だよって言ってくれた。

 

忘れない。忘れたくない。

 

大切な人より、恋人を選んだこと。

3年前は後悔した。どうしてふたつを得られないんだろう。どうして大人にならなきゃいけないんだろう。どうして生きていかなきゃいけないのだろう、こんなにしんどいのに。

毎日泣いた。毎日泣いた。本当に毎日。

だけど、時間が経つにつれ、恋人と時を共にしてきて、結果論だけれど私の選択は間違っていなかったと思える。恋人を選んで良かった。幸せだよ。たまに嫌な事もあるけれど、不幸せではないよ。大丈夫。私は元気でしっかり生きている。

 

4年も一緒にいて、大好きだと思えて、これから先の人生を想像できるんだよ。3年前の私が聞いたらびっくりしてしまうだろうか。

3年前、大切な人を失わなければ恋人の大切さを分からなかったかもしれない。

 

恋人と別れなかった理由は、恋人が私を諦めないでくれたから。ただそれに尽きる。

あの時、私を諦めないでいてくれてありがとう。沢山泣かせたのに、好きだと言ってくれてありがとう。文ちゃんがいなくなったら俺は生きていけないって言ってくれてありがとう。嘘でも嬉しい。愛してくれてありがとう。「ずっとはあるよ、俺がつくる」と目を見て言ってくれてありがとう。ずっとをつくり続けてくれてありがとう。幸せです。多分この世で一番幸せです。

 

これから先、もし大きな壁にぶち当たっても、恋人となら乗り越えていける。恋人が私を諦めなかったように、私も恋人を諦めない。恋人の隣を私以外の誰かに明け渡すつもりもない。恋人の幸せは私が守る。大丈夫。懸命に生きていく。20歳を超えても、必死に生きていくから。

「ありがとう」

ナースコールで呼ばれて患者さんのところへ行くと、目薬を差してほしいと言われた。 いつもの日課なのだが、昨晩は忘れてしまったらしい。「もう忙しい時間は終わったと思ったから呼んだの」気を遣わせているのだろう。それも優しさだと思うと同時に申し訳ないと言う気持ちになる。


「わたしね、最近おかしいの。夕食の後、入れ歯外したと思ったんだけど、上下外したか忘れちゃったの。綺麗にゆすいだところまでは覚えてるんだけど、その先が思い出せなくて。目薬も、昨日の夜にしようって思ってたのに、しないで寝ちゃったの。忘れっぽくって、歳のせいかしら、いやね」

 

ほんの30分前のことであるが思い出せない。それが認知症である。
笑って言っていたけれど、きっととてつもない不安だろう。認知症初期は、自分が〈少しおかしい〉ことに自覚があるからだ。


「わたしももっとね、頑張らなきゃいけないの。生きているうちはね」


微笑む姿に思わず涙がこぼれた。

永遠に生きられるわけじゃない。限られた命だ。97歳にして軽介助で車椅子に移れることも、自分でお粥ご飯を食べられることも、トイレに行けることも、話せることも、全て奇跡だと思う。人は誰しも不平等に限られた命なのだ。

 

いつかは、いつかは息をやめる日が来てしまう。そう思ったら涙が止まらなかった。今は私のことも覚えていてくれて、名前も呼んでくれる。昨日あったことも覚えていられる。けれどそのうち、そう遠くない日に、何もかもが分からなくなる日が来てしまうかもしれない。そうなった時に、どう支えたらいいのかが分からなくなる。少しずつ進行する病に対する不安にどう寄り添ったらいいのか分からなくなる。

大丈夫だよと言ってあげたい。けれど何が大丈夫なのか。ただ自分に言い聞かせているだけではないか。

 

「ご飯だって前より食べられるようになったし、私が手を貸さなくてもご自分で車椅子からベッドに戻れるようになったじゃないですか。十分、頑張っていらっしゃいますよ。」

 

そう言うことしか私にはできなかった。

 

「でもね、まだまだ頑張らなきゃいけないなって思うのよ」

 

認知症患者の気持ちを否定をしてはいけないと習っていたけれど、私はもう十分じゃないかと思ってしまった。だってこんなに毎日一所懸命生きているのを私は知っているから。

 

「ちゃんと見ていますよ。頑張っているのを私は、ちゃんと見ています」

 

私の素直な気持ちだ。

 

「わたし、ここへ来てよかった。だってここにはフウカちゃんもいるし、文さんもいるもの。こんなに親切にしてもらって、わたし幸せ」

 

そんな言葉をかけてもらえるなんて思ってもいなかった。自分がこんなに誰かのためになっているなんて自惚れたことなんてなかった。だからこそ嬉しかった。ボロボロに泣いてしまって仕事が手に付かなかった。幸せだなんて言ってもらえると思っていなかった。

 

わたしは今日のことを一生忘れないと思う。この患者さんがもし息をすることをやめたとしても、思い出して涙する日があると思う。

「ありがとう」と言われるたびに、ありがとうはこちらの方だとよく思う。だって仕事だ。わたしはこれで給料を貰っている。だけど、そんな風に言ってもらえて「文さんがいてくれてよかった」と言われて、泣かない人などいるのだろうか。嬉しかった。

 

あの時仕事をやめないで良かったと思えた。頑張ろうと思えた。97歳が必死に毎日を生きているのに、たかが20歳の私が弱音を吐いていてどうする。いつも笑顔でいられなくてどうする。情けないじゃないか。踏ん張ろう。辛いことがあっても、踏ん張って生きていこう。この気持ちを一生忘れないでいたい。私の方が救われているのだ。