no title
初めての離乳食。ちびすけは私たち大人が食べているものに滅茶苦茶興味を示していて、離乳食が楽しみだったけど、一日目はギャン泣きされて終わりました。ちびすけがうっわなんだこれって顔をしてから、ベッと全て口から出した後ギャン泣きするのを見て爆笑しました。親もこの道を辿ってきたのね・・・。離乳食の道のりは険しいって聞くし、トイレトレーニングとかも始まったら本当に大変なんだろうなと今から心配している。まだ寝がえりすらしないちびすけだけど、私も好きな男もまったく気にしていない。他の子を知らないっていうのが大きいんだろうけど、早産で生まれてきた時も大して気にしなかったから、たぶんこういう性分なんだと思う。
早ければ9月に働くかもしれないと言っていたけど、年内中に実現しそうで嬉しい。保育園はまだ話すら聞きに行っていないけど、結構空きがあるみたいで少し安心した。多分北海道だからそうなんだろうな。埼玉東京辺りじゃ大変だろうな。私はやっぱり介護職に戻りたいけど、ちびすけのことを考えたら変則勤務も夜勤もできないし、どうしても仕事の幅はグッと狭まってしまう。好きな男は私がどんな仕事に就こうがなんでもいいよって言う。「やりたいことやりな、そこに関しては口出すつもりはないからさ」って言う。そういうところ全然変わらないし滅茶苦茶好きだな。月10万もあれば大分豊かな生活ができると思うって言われたから、そんなに給与面で思い詰める必要はないんだろうけど、やっぱり介護職は安いし、でも介護職大好きだし、っていう葛藤に揺れている。事務とか出来る気しないし、接客も苦手じゃないけど、うーーーーんって感じ。
人の金で生活するのに罪悪感を感じて、自分の価値を見出せないという話を好きな男にしたら、やっぱり分かってもらえなかった。「俺だったら養ってもらえるなら全力で甘えるけどな」まあ、大半の人がそうだろうな。「なんていうか、自分の身の回りの物くらい自分で買いたいし払いたいし、自分のことで頼りたくなくて、自立していたいっていうか、なんかそれって対等じゃないじゃん」「俺は対等だと思ってたけど文ちゃんは違うの??」うーん、論点がズレる。「俺が仕事辞めて養ってって言ったらどうする?」「それは全然いいよ」あくまで自分の話なのだ。「文ちゃんが家のことをやってくれるから俺が仕事を出来ているわけで、俺は対等だと思っているし二人で稼いだお金だよ」・・・懐の広さエグくない?と言ったら笑ってた。
好きな男は沼のように甘い。デロッデロに甘い。なんかすごいよね(唐突に無くなる語彙力)
好きな男はいつも中立な立場にいて、私が専業主婦でもいいし、働きに出てもいいよ、任せるという。常に文ちゃんはどうしたいの?というスタンスでいる。それって普通にできないことで、これが年の功なのかと感心する。無関心なわけじゃないよと言って笑う。分かってるよ。
もし何もかもうまくいって、ちびすけが保育園に入ったら、どんな刺激を受けるんだろうか。私は昔の記憶があんまりない方だと思う。兄と私は幼稚園、弟から下の3弟妹は保育園に通っていた。幼稚園は制服があって、バスに乗って(超近くて2分くらいで着く)、いっぱい遊んで、楽しかった気がする。小さな小さな町だったから、みんな友だちで毎日が楽しかったな。どうでもいい話だけど、私の母は授業参観が嫌いだった。というかおそらく学校というもの自体が嫌いで、できるだけ近寄りたくない、みたいな意識が多分あって。授業参観に母は来ないだろうなと思い、周りの子がソワソワ後ろを振り向いたり、張り切って手を挙げている姿を冷めた目で見ていた。ふと教室の前のドアに目を向けると、普段着の母の姿があった。よれたTシャツに色あせたジーパンの母が私に手を振っていた。そのあとすぐ帰ってしまったけど、私はその一瞬がすごく嬉しかった。なんか、そんな小さなことをよく思い出す。
母に会いたいなと思う。母に会いたい。いつになるのかなあ。はやくちびすけに会わせてあげたい。ニュースで、お盆におばあちゃんに生まれた子どもを見せるために帰省しましたって言ってる人がいて、心底羨ましいと思った。母に会いたいな。
なんか、こんなことを書くつもりで開いたんじゃない。書いているうちにどんどん暗くなってしまうの、どうにかなんないのかな。
そういえば高校の友人がアマギフをくれたのでサーキュレーター買いました。サイコー。QOL上がりました。ありがとうございます。
言えない
「文ちゃんはさ、もう少し俺に甘えた方がいいよ」
そう言われてしまうのは何度目だろうと思った。
私は甘えられない。関係が近しいほど、信頼を寄せれば寄せるほど、甘えられない。嫌われたくないとか、こんなことを言ってしまったらという不安もある。でも一番は迷惑をかけたくないという気持ちだと思う。迷惑をかけたくない、手を煩わせたくない、自分で何とかしようという慢心である。
「思っていること言わないから、正直今文ちゃんが何考えてるか分かんねーわ」
先日好きな男に言われた言葉が胸に刺さって痛い。朝、些細なことがきっかけで好きな男に別れると言われた。冗談なのは分かっていた。好きな男が私を愛していることは知っている。本気で言っているはずがない。分かっている。でもそれだけは、冗談で言っていい言葉じゃないと思った。だからそっけない態度を取った。そしたらそんなことを言われて絶望した。「俺が悪いとか嫌だと思う部分があったならそれでいいけど、最近イライラしてばっかりで、何考えてんのかわかんない」そう言われた。私はいつも言われてしまう。4年半付き合った人にも、何度も何度も言われた。「思っていることを言って、話して、甘えて」と。私には4年半、ずっとそれが出来なかった。相手を信用していないわけではなかった。本気で嫌われるとも思っていない。これはただ、私の心の問題だ。
幼少期、親に甘えられなかった。だから今更どうしてに甘えたらいいのかわからない。私だって甘えたい。助けてって言いたい。でも甘え方を知らないのだ。どうしても言えない。どう伝えたらいいか分からない。私が休んでしまったら、好きな男が頑張らなくてはいけなくなってしまう。私が頑張れば済む問題、私が我慢すればいい、迷惑かけたくない、苦しい思いをしてほしくない、休める時休んでほしい。そんな気持ちばかり先行して、その思いとは裏腹にずっとイライラしてた。なんで私ばっかりって思ったらおしまいなのに、なんで私ばっかりって思ってた。あなたはいいよねって思ってしまった。ああ汚い。汚い自分が見え隠れしてしんどい。
「文ちゃんが俺に甘えられるだけの余裕がなかったかもしれない」「俺はすぐ甘えるよ。文ちゃんごめんちびすけ見てほしいとか、眠いから寝るわとか」「文ちゃんだけが悪いわけじゃない」
好きな男は優しい。すごく優しい。私を労わってくれるし、なにかやることはあるかと事あるごとに言ってくれる。私はそのたびになにもないよと言った。少しでも休んでほしかったから。でも呑気に眠っている好きな男を恨めしくも思った。自分が頑張りすぎてしまう方なのは理解している。でもどうやって息を抜いたらいいか分からない。働いていないことに負い目を感じている。家事掃除洗濯育児をしているだけで、辛いとか苦しいとか言ってはいけないような気がして。こんなこともできない自分はなんて情けないのだろうと思わずにはいられない。
甘えることが怖いのだ。嫌な顔をされたり、迷惑だと思われたり、疲れてんのになどと言われてしまったら立ち直れる自信がない。好きな男が在宅ワークで家にいるのに、朝起きたちびすけが泣き続けていることにイライラした。そんなに仕事が大事なのかと怒鳴りたかった。仕事と家庭は比べるものではない。分かっている。ちびすけが大事じゃないわけないのも分かっている。今手が離せない状況なのも重々承知の上だ。それでも毎日明け方にならないと眠れない私には酷だった。日中もちびすけが寝なければ私も眠れない。平日ならなおさらだ。少し寝かせてほしいと一言いえばそれで済む問題だったのに、言えない私はずっとムスッとした顔で、好きな男とも目を合わせず、イライラしていた。「可愛くない、直してほしい」と言われた。到底できる気がしないが、分かったと言わなければこの話し合いが永遠に終わらないような気がした。相手に何かを言われると、いつも責められてる気持ちになる。お前が悪いのだと言われているような孤独感に陥る。ああまただと思ってしまう。また相手に不快な思いをさせてしまった。好きな男を苛つかせてしまった。自分はダメなやつなんだ。しんどい。
好きな男が悪いわけじゃない。私自身の問題だ。4年半付き合った人にも何も言えなかった。やってほしかったこと、直してほしかったこと、一緒にやってほしかったこと、全部言えなかった。だからダメになった。言わなくても察してよなんて通じないのは分かってる。言葉にしなければ伝わらない。当たり前だ。分かっている。分かっているけど、喉の奥につかえたまま言葉が出てこない。相手の負担になりたくない。でも十分負担になっている。しんどい。
甘え上手な女はそりゃ好かれるわな、と思う。そりゃそうか。言いたいこと何も言わないやつより、思っていることを言って、考えを摺り寄せて、より良い方向を目指せるほうがいいに決まっている。分かるよ。私もそうなりたい。いつになったらなれるのか。いつになったら変われるのか。いつになったら私は私のこと好きになれるんだろうか。もしかしたらずっとこのまま変われないんじゃないか。ずっとしんどい。ずっと嫌い。自分が一番嫌い。好きになれない。多分一生。
自分の顔が無理
自分に自信がない。
ずっと自信がない。外見もない面も好きではない。いつになっても好きになれない。
「二重まぶたになりたかった」という曲がある。「誰かに認めてほしかった。自分を愛してあげたかった。」って歌詞。好きな男に顔でコンプレックスがあるかと聞いたら「高すぎる鼻の形と顔がデカいところ」と言っていた。好きな男は顔が整っていると思うけど、それでもやっぱり悩むんだ、と思った。
私は左目が奥二重になったりするけど、基本ずっと一重でそれがどうしようもないコンプレックスだ。目が小さいのが嫌でアイプチをしないと外に出たくない。かわいい子はみんな二重だ。幅が広くて、目が大きくて、ああいいなと思う。こんな自分もイケてんじゃね?と思えなくて、ずっと苦しい。好きな男に顔が小さいのが羨ましいとよく言われる。頭の大きさが羨ましいと。でも私は好きな男の並行二重が心底羨ましい。二重の人がみんな可愛いわけじゃないよ、顔の下半分残念な人もいるじゃんとか、私は自分の顔好きだよとか、そんなのことは聞いていないの。
私は化粧してる自分の顔が大好き。でも他人から見たらバレバレのアイプチだしな、とか、二重の人は化粧しなくてもちやほやされたりすっぴんで外出られるんだろうな、とか。
不細工だと言われたことはない。これでもちやほやされてきた方だと思う。でもずっと苦しい。誰かに可愛いって言われなくても、自分だけは自分のこと可愛いって思いたかった。自分を認めてあげられないのが苦しい。だから整形ってあるんだな。サイコー。
ずっと可愛くいてほしいって言う好きな男の言葉が辛い。他意はない。純粋に、ただ可愛くいてほしいと思って、言っているだけ。でも私は自分のこと可愛いって思えない。
もし私が二重まぶただったら、毎日自分のこと可愛いって思って、自分しか勝たん!って思って、毎日化粧をするのが楽しくて仕方なかったんじゃないかとか思う。化粧をしている自分は好きだけど、毎朝鏡を見るのが憂鬱で、化粧して外出て汗かいてアイプチが取れて泣きそうになる。羨ましいな。働いてお金貯めて整形して早く自分のこと好きになりたい。認めてあげたいし、愛してあげたい。他人の目に自分がどう映っているのか知るのが怖い。
「自分だけは自分のこと好きでいてあげたい」
長いこと言ってるけど、未だに無理だな。外見も内面も、自分しか勝たん!って思いながら笑って生きていきたいのに、定期的に鏡を見ては死にたくなる。ちびすけが生まれる時、好きな男に似てくれってずっと思ってた。私に似ないでほしいと思っていた。自分の顔が好きじゃないから、私みたいに自分の顔嫌いになってほしくないと思ったから。二重の方が生きていきやすいから。実際、ちびすけは今一重だけど、二重がいい一重は嫌だとかずっと悩んでた自分が馬鹿らしくなるくらいちびすけは可愛かった。母親がせっせと化粧をする私を見て、怪訝な顔をしていた理由が分かった気がする。
アーーーーーー、自分のこと好きになりたいヨーーーーー
来世ではお願いします。
9月5日
23歳になった。
私には兄弟が私を含め5人いる。小さい頃、まだ父が居た頃。家族誰かの誕生日になると決まって食後のホールケーキが出た。私はチョコレートケーキが好きだったが、兄や弟はショートケーキのほうが好きだった。私は苺が苦手だったから、兄弟の誰かにあげていたと思う。母の誕生日はケーキは出ない。甘いの苦手だからとか、歳とっていくだけだし嬉しくないとか、そんなことばかり言っていた気がする。昔のアルバムに、小さい私たちがケーキの前で笑いながらピースをしている写真があった。そんなことでしか愛を確認できない。
20歳になったら一緒に死のうねと約束した人がいた。今はもう会うことも連絡を取ることもできない人。私の心の中の柱のような人。大切な人だった。そんな約束をしたもんだから、20歳を超えてからの人生は全く想定していなかった。本当に死ぬつもりなんてきっとなかったが、未来のことなど到底考えられるような精神状態ではなかった。
私の死にたいは「誰の心にも残らず綺麗さっぱり消えたい」だった。この世には死にたいと思ったことがない人が一定数いるということを知って私はひっくり返るくらい驚いた。羨ましいと思わなくもないが、どういう風に生きてきたら死にたいと思わず生きてこれるのか不思議でたまらないし、今でもその人たちの気持ちは分からない。否定しているわけではなくて、単純に理解ができない。気持ちは分からないけど、分かってみたいなとは思う。
話が逸れた。20歳で死ぬというのはありきたりだと思う。若くて綺麗なうちに死にたいとか、世の中に絶望して、とか、ありがちで陳腐だと思う。私は後者だった。本当に死ぬつもりなんてなかった。死にたくて消えたくて、でもできなくて必死に生きた結果が今だ。私が20歳で死ぬと言ったのは17歳の夏だったと思う。茹だるように暑くて、湿気で夜も寝苦しいような、そんな日だった。どこにも居場所がなくて、だれにも愛されないと思っていた17歳の夏。一緒に死のうねと言った人がどこまで本気だったかは分からない。でもその言葉は私にとって救いだった。だって終わりが分かれば頑張れるから。
あのくらいの年代の女の子は、死にたいと思う子は多いと思う。私は自分の思想や気持ちを誰かに伝えたり、困ったときに助けを求めたりするのがすこぶる苦手だった。幼少期にわがままを言ったり、何かをねだって買ってもらった記憶がない。ディズニーランドのCMを見ていいな行きたいなと言えば母は激怒した。そんなんに行けるほどうちは裕福じゃないとか、行きたきゃ一人で行けばいいでしょとか。習い事や部活もそうだった。習い事したってどうせ続かないでしょとか、運動部は金がかかるからやめてとか。そんな言葉で育った私は何を言っても否定されるから、何も言わなくなった。自我を通すより相手に合わせる方がよっぽど楽だった。母に何を言っても否定されたような気持になったし、何を言っても無駄だと思うようになった。私が何か言えば、母は「お前のせいで鬱病が悪化した」と言って精神科でもらった薬を沢山飲むし、お前さえいなければとか言うから、触らぬ神に祟りなしだなと思った。母が大好きだったけど死にたさはどんどん加速していって、でも死ねなくて、左腕に傷をつけた。流れる血を見て生きてる感じがするとか、そんなのはよくわからなかった。ただ自分なんて傷つけばいいと思ったし、実際傷を見ると落ち着いた。傷のある自分が好きだった。多分、理解されないだろうけど。
20歳で死ぬと言ってから、3年が経ってしまった。しかも子どもまで産んでしまった。どうしよう、とうとう後戻りできない。軽率に死のうとできない。死ねなくなっちゃったな。昔に比べて、死にたい気持ちはもうあまり残ってないけど、私は死にたい自分が好きだった。これも理解されないだろうけど。不幸でいると安心する、幸せはいつか壊れちゃうから。今まで付き合ってきた男の人はみんな「文ちゃんが居ないと死んじゃう」って言うけど、ちびすけは本当に私が居なくなったら死ぬ。少し目を離したら簡単に死ぬ。そういうものを生み出してしまった。これは責任だなぁ。ちびすけを産んだことを後悔しているのではない。死ねなくなっちゃったなぁっていう、そんな気持ち。私が42歳になったらちびすけが20歳になる。だからそれまでは生きようかなって思ったけど、20歳で親が死ぬのは辛すぎるので、50歳まで生きよう。そんなくだらないことを考えている。
20歳の時は、介護を辞めると思っていなかったし、4年半付き合った恋人と別れるとも思っていなかったし、母がこんなにいい「母」になると思っていなかったし、子どもが生まれるとも思っていなかった。私、20歳で死ななくてよかったな。
好きな男が「文ちゃんは俺に出会うために生まれてきたんだよ」「死にたかった俺を救ったのは文ちゃんだよ」と言う。そんな大袈裟なとも思うが、もしそうならあの時死ななくて本当によかった。死にたかった好きな男に「一緒にいられたら何でもいいや」と言った私ナイス。全く覚えていないけど。0時半を回った頃、眠っていたはずの好きな男が2階から降りてきて、開いてない目で「誕生日おめでとうございます」って言うから笑っちゃったな。自分が生まれた日を大切な人に祝ってもらえることは幸せだなと思う。幸せはいつか壊れちゃうのかもしれないけど、この幸せだけは壊れないでほしい。
チョコレートケーキ食べたい。
ちびすけ
ちびすけが生まれて、4ヶ月。あと半月で5ヶ月になろうとしている。早いなあ。
今のちびすけは
ミルク→200㏄(飲まなければ数分後温めなおすと完食)
睡眠→午前中は2時間程度寝たり寝なかったり夜は20時~2時・3時に一度起きてその後朝まで寝る
お風呂→生まれた時から大好き
散歩→ほぼ毎日、散歩も大好き
大体はこんな感じだ。
ちびすけは寝るようになった。本当に。生後1ヶ月から3ヶ月までは夜全く寝なかった。夜中から明け方にかけてようやく寝る生活を繰り返していた。あの時は流石に辛かった。
よく、“ 子どもの泣き声で起きない旦那を蹴り飛ばしたくなる ” と母たちが言うが、それは本当にそうだった。だけど、私は好きな男に対する怒りよりも好きな男を寝かせてあげたい気持ちの方が強かった。でも「頼むから泣かないで、好きな男を寝かせてあげて、仕事で疲れてるの、お願い」なんてちびすけには伝わらないし、ちびすけの知ったことではない。ちびすけの夜泣きで好きな男を起こしてしまうことが何よりも苦痛だった。好きな男は優しいから、大変な時は起こしていいんだよと言うが、私にはそれもできなかった。
真っ暗な部屋でちびすけと二人ただただ孤独だった。夜が永遠に終わらない気がした。時計の秒針ばかり見ていた。毎日夜になると怖かった。どうしたらちびすけが泣き止むのかわからなかった。オムツも替えた、ミルクも満腹まで飲んだ、でも寝ない。何が悪い?部屋の温度か?調節しても寝ない。なんでだろう。どこか痛いのかな。辛いのかな。そんなことばかり考えていた。抱っこしている間はうとうとするが、布団に下せばギャン泣きされまた一からやり直し、ずっとそれの繰り返し。夜中中ずっとそれだった。
ちびすけの泣き声で頭が痛くなる。鼓膜が破けそうだ。精神的に辛かった。なにをしても泣き止まないちびすけをひっぱたきたい衝動に何度も駆られた。うるさいんだよと大声で怒鳴りつけてしまいそうだった。腕の中で泣き叫ぶちびすけを布団に思い切り投げてしまいたかったし、ちびすけの口を手で塞いでしまいたかった。
そのくらいしんどかった。
そんな毎晩を送っていると頭がおかしくなりそうだった。ああ、これは鬱になるの分かるわ、虐待って他人事じゃないな、顔真っ赤にして泣いてるな、ちびすけも本当は寝たいんだろうな。私は暗い部屋の中で体育座りをして、泣き続けるちびすけをジッと見ていた。体育座りをして、両の腕で自分を抱きしめてた。そうすることで少しでも自分を守っていた。自我が崩れないように必死だった。
そんなことをしていると、流石に好きな男もちびすけの泣き声で起きる。ちびすけを任せて、荒々しくベランダの窓を閉め、室外機の上で体育座りをして何度も一人で泣いた。
怖かった。
自分が自分でなくなるようだった。母が私にしてきたことを、私もちびすけにしてしまうかもしれない。殴ってしまうかもしれない。いつかちびすけをこの手で殺してしまうかもしれない。ちびすけは何も悪くない。私を困らせたくて泣いているわけでもない。そんなのは頭で十分わかっている。頭では理解している。それでも感情が抑えきれずに殺してしまうかもしれないと本気で思った。怖かった。生まれて数ヶ月のこんなに小さい赤ちゃんにすら優しくできない。自分には母親になる資格がないんじゃないか。自分は悪なのだ。私は自分のことを心底軽蔑した。
朝日が昇る頃、ようやく眠れたちびすけの顔を見て、またボロボロ泣いた。ああ可愛いな、大好きだな、こんなに好きなのに、命に代えても守りたいと思うのに、どうして優しくできないんだろう。毎日毎日、日を重ねるごとに自分のことが嫌いになっていった。汚い部分ばかり見えてしまって。自分なんか死ねばいいと思った。死にたいと思った。優しくできない、笑えない自分はいなくなればいいと思った。そんな毎日だった。
3ヶ月半を過ぎた頃、ちびすけは徐々に夜眠るようになった。今ではあまりに寝るのであれ?大丈夫?死んでないよね?と確認しに行くほど寝るようになった。あんなに夜泣きに苦しんでた期間は、他の人と比べたら多分そんなに長くない。でも本当にしんどかったな。
ちびすけがどうしたら眠れるか携帯で調べまくった。「部屋の電気を暗くして昼は起きる夜は寝るという習慣をつけるといいです」なるほど、やってみよう。部屋の電気を消して、豆電球にしてみた。余計寝なかった。火がついたように泣く。なんでだ。もしかしてと思い、調べる。「赤ちゃん 暗いところ 怖い」やっぱりと思った。
暗いところが怖い赤ちゃんもいるんだ。周りに子育てをしている友だちもいなければ頼れる大人もいなかった私にとってネットは救いだった。ネットのあるこの時代が子育てを出来ることに心から感謝して、明るめのオレンジの簡易照明をつけるようになった。他にもいろいろ気付いた点があった。ちびすけが起きそうになった時に枕を直してあげると再び寝ること、モロー反射で寝付く瞬間に手がビクッとなって起きてしまうのでお包みをすると眠れる、抱っこだと寝る、揺れてると眠くなるから膝に乗せてずっと揺らす、ドライヤーの音は胎児だったころに聞いていた音に近いから安心して眠れる。マジネット感謝。ちびすけは一人では寝たがらないのでベビー布団は初めの1ヶ月しか使わなかったな。高かったのにな。
最近の寝かしつけは腕枕をして声をかけながらひたすら背中をトントン叩く。眠たきゃスッと寝るし、寝ぐずりして足で蹴ってどんどん上に行ったり暴れたりするときは寝ないので宥めてまた腕枕をすると寝る。ずっと抱っこできる体重でもなくなってきて、私も横になりたいから前々からどんなに泣き叫んでも寝の体制として習慣にしてきた。それが今は実を結んで本当にハッピー (急にバカっぽくなる)
眠い時にお包みに包むと一人で寝る姿を見て今でも感動する。お包み開発した人に土下座して拝み倒したい。
ちびすけは元々ニコニコする子だけど、声を出して笑うようになってきて、もう尊過ぎて死ねる。天使でしかない。語彙力がなくてうまく伝わらないかもしれないけどこの世で一番きれいな笑顔で笑う。マジ泣きそうになるもんね。可愛すぎて。ハァ…好き…。
本当産んでよかった。この先離乳食拒否とかイヤイヤ期とかあって多分また病むけど、今のところ産んでよかった。未来のことは分からないけどね。夜泣きがひどくて、どれだけちびすけを憎く思っても、産まなきゃよかったという思考にはならなかった。だから自分の母親はどんな気持ちで私に産まなきゃよかったと言ったんだろうって考えて死にたくなった。
私は親につけられた傷が体にはない。だからかもしれないけど、どんな暴力よりも言葉の方がずっとずっと重いと感じる。もちろん殴られて痛かったよ。でもそれより、産まなきゃよかったとか死ねばいいのにとか、そういう言葉の方が今でもずっと辛い。
言葉は呪いだと思う。
どんなに幸せでも一瞬であの頃に引き戻されてしまう呪いである。そんなこと考えていた。でも、逆も然りなんだよね。
母親に内緒で中学校をサボって、どこかに行きたくてでもどこにも行けなくて、学校裏の川に一人でいるところを先生に捕獲されて、泣きながら家に帰った時に母親が私の頭を撫でて、泣くほど嫌なら行かなくていいと言ったこと。中学の入学式でお前が一番可愛かったと言ったこと。前から優しくていい子だったけど、介護職に就いてからもっと優しくなったねといわれたこと。遠い昔、リビングのカーテンを開けながら母が私に微笑んでおはようと言ったこと。私のことを想って、どうしてこの子ばっかりこんな辛い思いしなきゃいけないんだよと言って泣いてくれた私の大切な大切な人。何年会わずしても文ちゃん大好きだよという言葉を贈ってくれる友だち。文ちゃんもちびすけも世界で一番だと毎日言う好きな男。そういう優しかった記憶も私は忘れない。
言葉は武器だ。
人を癒すことも、傷つけることもできると思う。そしてそれが鋭利であればあるほど心に突き刺さることを私はよく知っている。だから私は言葉を傷つけるための道具として使いたくない。ちびすけの前ではいつでも優しくありたい。ちびすけをわざと傷つけるような言葉を使いたくない。愛されて育ってほしいし、ちびすけに大好きだよと言いたい。正直まだ照れくさい。男の子だから、ある程度大きくなったらうざがられるんだろうな。寂しいな。優しい子に育ってほしいな。欲張りかな。
おわり!!!!!!疲れた!!!!!!
5893字
眠るちびすけの顔を見て、ああ好きだなと思う。
自分の父も母もこんな気持ちだったのかとも。
本当はたくさん書きたいことがある。私は頭で考えると自分の考えがこんがらがって、誰かに何かを伝えるとき、何が言いたかったのかわからなくなってしまう。だからこうして自分の思っていることを文字にする。そうすると明確に自分のことがわかるような気がする。気がするだけかも知れないけど。
好きになった人が大切な存在であればあるほど、関係性が強ければ強いほど、私は言いたいことが言えなくなる。その根っこにあるのは嫌われたくないという感情だと思う。これを言ってしまったらという怯えである。関係がぎくしゃくするのは嫌だ、私が我慢すれば丸く収まる。そんな生き方をして来たら自分がなにを思っているのかが分からなくなった。自分で考えるのが面倒になった。どっちでもいいよ、なんでもいいよが口癖になった。誰かに自分の意見を言うより、全て飲み込むほうが楽だ。何食べたい?に対して、とっさに食べたいものが出てこなかったり、一人で出掛けてきていいよに対して特にやりたいことが浮かばなかったり。そういうのも全部、誰かに合わせて生きてきてしまった代償なのかな。今時、誰かに対して自分の意見をはっきり言える人の方が少ないのかもしれない。私みたいな人間が多いのかもしれない。だけど、好きな男はわたしに曖昧な態度を取らない。何食べたい?って聞いたら必ず食べたいものがでてくるし、どこか出掛けてきていいよっていったら今はちびすけと一緒にいたいって言ったり。羨ましいなと思う。だけど多分、私が好きな男みたいに自己主張の女だと、きっと合わないだろうなと思うから、別に不満があるわけではない。ただ、もう少し自我を持ちたいなっていう話。
母の事を思う時間が増えた。自分が母になり、母もこんな気持ちだったのかなとか、母は大変だったろうなとか。母が幸せだったとは思えない。母が私を愛しているのは分かってる。だけどどうしても、あんたなんか産まなきゃよかったという言葉がフラッシュバックする。幸せだったとは言い難い18年だった。友達の家族を羨んだし、どうして自分は普通になれないんだと何度も嘆いて泣いた。ろくにご飯を食べられなくて、一日白飯一杯だけの日や、母がうつ病の時は毎日コンビニ弁当だった。私がご飯を作ればよかったが、そもそも家に食材もなければそれを調達するだけの金もない。なにより母は私が台所に立つのを嫌がった。母の嫌がることはできなかった。当時高校生だった私の昼飯代は一日500円だった。当然弁当なんてものはないので、学食を食べていた。唐揚げの入った100円のわかめおにぎり一つだけだった。同級生たちはバイトや遊びでサイコーの高校生活を送っているように見えた。バイトも母から禁止されていたし、遊ぶ金もなかったので自分がすごく惨めに思えた。お金さえあればと何度思ったかわからない。父と母が離婚したのも金がなかったからだ。高校を卒業し、就職して、自分の金で生きていけるのが嬉しかったけど、働いても働いてもお金は溜まらなくて、やっぱり金に苦しんだ。今でもお金のことを考えると苦しくなる。ああ早く働きたいな。養ってもらう立場にいるのがとても後ろめたい。
お金はなくても愛のある家族は幸せだと思う。うちにはどちらもないと思ってたからどこにいても誰といても孤独だった。高校は同じような子が沢山いて、その辛さを語り合った。心が少し楽になるような気がしたけど、愛されて金もあって育った子どもにはその辛さは分かってもらえなかった。分かってもらいたかったわけじゃないと思うけど、住む世界が違うんだってはっきり分かった瞬間だった。その時の私は今よりもひねくれていたから、せっかく歩み寄ってくれた子に対して、同じ環境にいる人じゃないと分かんない、幸せな家で育ったくせに分かるとか言わないでとか思ってたな。同じ環境でなくても、幸せに育っても、人の心に寄り添おうとしてくれて、大変だったねって泣いてくれるような人が居るって知ったのはもっと後になってからだった。「同じ目に遭ってなきゃ分かろうとしちゃいけないの」って言われてハッとしたな。
母は弱い人だと思う。そしてとてもやさしい人だと思う。
母は頼れる人が誰一人いない中で、子どもを5人連れて知らない土地で養っていかなければならなかった。洋服はよれよれ、髪の毛はプリンもいいところ、白髪まみれで化粧っ気もなかった。ご飯は食べなくて、煙草と珈琲だけ。心配性で甘えるのが本当に下手くそで、素直じゃなくて、いつもイライラしてた。18歳で実家を出て、一人暮らしをするようになってから母は ”いい母” になった。優しくて、まるで私の知らない母のようだった。
今振り返れば、きっと母と私の距離が近すぎたんだと思う。母は私にしか自分の気持ちを話せなかったし、私はそれを全部受け止めてた。だから苦しかった。母が辛いと言えば私も辛くなった。母が死にたいと言えば私も死にたくなった。母は、私が母の言葉に影響されやすいのも分かっていたけど、あの頃の母は自我を保つのに必死だったんじゃないかと思う。実家を出てから、母といろんな話をするようになった。自分の事を話せるようになった。
母が昔、暴力的だった頃の話をしたことがある。「お母さんあの時どうかしてたの、早く忘れたい」そう言っていた。私は母にされたことを一生忘れないと思う。だけど母を憎んでいるわけではないし、恨んでもいない。当時の母は、お前たちを殺してお母さんも死んでやるって勢いだったし、私が母と同じ状況だったら私だってそうしていたかもしれない。それでも母が私を殺さなかったのは、どれだけ憎くても産まなきゃよかったと思っても、それでも私を愛していたからなんだろうな。私はそれを幼いながら分かっていたんだと思う。
私は今でも父のことも母のことも大好きだ。何をされても嫌いになれなかった。どれだけ辛くても他の家ならよかったのにと思わなかった。羨みこそしたけど、違う家族になりたいと願ったことはなかった。子どもとはそういうものなのだと思う。何をされても、何と言われようと、母の事は嫌いになれないのだと思う。もちろん、私よりひどい目に遭った子どもや、絶縁状態にある子どももいると思う。父や母が嫌いだという子どももいると思う。でも私は父や母のことを嫌いになれなかった。どうしても好きだった。親は責任があると、自分が親になってから強く思う。その責任って何よりも重いものだと思う。私のようになってほしくない、ちびすけには愛されていてほしい、愛されて育ったなと胸を張って生きてほしい、でも人の苦しみや辛さに寄り添える人間になってほしい。そのためには少しばかり傷ついたり、傷つけたりして成長しなければならない。葛藤がすごいな。
母に産まなきゃよかったと言われたとき悲しかった。殺してやるって言われたとき怖かった。あんたさえいなければと言われたとき苦しかった。私が居なければおかあさんはもっと別の人生を歩むことができたのかなって思って悲しかった。母の自由を奪ってしまったと思った。私さえいなければ、と何度も思った。何年も思い続けた。でも死ぬのは怖かった。手首に剃刀を当てたとき、血の気が引いていくようだった。痛いのは怖かった。結局、手首ではなくて腕の内側に傷をつけた。そうしたら少し楽になる気がした。母に言えなかった思いが浄化していくようだった。
それが母にバレた時、母は声を震わせて何をしたの、と言った。そんな分かり切ってること聞かないでよと思いながら、私は自分でやったと言った。母は泣き崩れた。文字通り泣き崩れたのだ。そんな母を見たのは初めてだった。その瞬間、ああやってしまったと思った。母を泣かせてしまった。私はその場にいられなくなって、泣きながら家を飛び出した。母は家を飛び出す私に何か言っていたが、全く思い出せない。あれは私のトラウマだ。その後、どうやって家に帰ったのかも、母とどんな会話をしたのかも、思い出せない。人は過度なストレスを感じるとその出来事を思い出さないようにするらしい。だから今は全く思い出せない。
私は母に一方的に感情をぶちまけられるだけだった。母に一切の反論もできなかった。私がなにかを言うことで、母を苦しめたくなかった。だから聞く側に徹した。この腕の傷はお母さんのせいだよって何度も言ってやろうと思った。少しは傷つけばいいと思った。でも言えなかった。やっぱり駄目だった。母を傷つけたくなかった。そうすると腕の傷は日に日に増えていった。それに気づいた学校の先生が私を抱きしめて泣いた。「気付いてあげられなくてごめんね、ずっと苦しかったんだね」そう言って泣いた。私は私の為に泣いてくれる人が居ることを知った。私も一緒になって泣いた。
全てを知っている友達が一人だけいる。彼女はもうしないでねとまるで自分が傷ついたように眉毛を八の字にして言った。悲しそうな顔だった。何年かして、その腕の傷は文ちゃんの生きた勲章だねと言って私の傷跡をさすってくれた。そんな大げさな、と思いながらやっぱり泣いた。私が自分を傷つけると、私を大切に思っている人が苦しむことを私は知った。それからもう自分を傷つけることはしなくなった。どんなに苦しくなっても、死にたいと思っても、自分の体に傷はつけなかった。私のために泣いてくれる人を傷つけたくない気持ちのほうが強かった。
そんな風に傷ついたり傷つけられたりして、今の私が形成されている。今まで生きてきて、悪意に触れることは少なかったように思える。いつでも優しく包まれてきたような気がする。恵まれた環境で育ったら、人の気持ちなんて考えなかったかもしれない。育ち方は関係ないのかもしれないけど。もし私がごく普通の家庭で育っていたら、人の気持ちがわからなかったのかな。どうなんだろう。その人によるんだろうけど。
私はいつまで経っても、自分のことが好きになれない。顔もそうだけど、性格も。私は自分を大事にできない。さっきの何食べたい?もそうだけど、左腕の傷とか。お腹は空くけど食べたいものが出てこない。食べたいものがない状態を食欲がないというらしい。それならこの世に食欲のない人間はどのくらいいるんだろう。私は自分のために何かをすることができない。ご飯を食べることや、自分磨きのための努力とか。
なんか暗いね。
今年のお盆帰省、どうする?ってニュースでやってた。帰る人も帰らない人もいるみたい。私の母は、まだ産まれたちびすけに会っていない。好きな男の両親もだ。会いたいけど会えない。ちびすけになにかあったら、もし私が保菌者で家族にうつしてしまったら。そんなことを考えたらやっぱり会えない。会いたいな。母はどんな顔をしてちびすけを抱っこしてくれるのだろうか。まだ画面越しでしか見てない孫にどんな風に笑いかけるのだろうか。そんなことを考えると余計に会いたくなる。
私の父と母は離婚している。父と最後に会ったのは北海道に来る前だ。約5年ぶりに会った。父は痩せて、昔よりずっと小さく見えた。「ちゃんと食べてる?」「食べてるよ」そんな会話をした。子どもを産むことは電話で伝えた。それが去年の10月頃。父との電話はすごく緊張した。父と話すのにはすこぶる勇気がいる。父が怖いのではない。ただ単に接し方が分からないのだ。一緒に居たのはもう12年も前だから。父と話して私は泣いた。
父に、「産まれたら子どもを連れて会いに行ってもいい?」と聞いた。父は「別に構わないよ」と言った。それだけで涙が出た。私たち家族はバラバラだ。会うのに理由が必要な関係だ。ちびすけを父に会わせたいというのは、父に会うための口実でしかないのかもしれない。それでも私は父に会いたい。
父に暴力を振るわれたことや、「お前のせいで他の兄弟が迷惑する」と言われ一人で夜の寒空の下、家を追い出されたこともある。鉛筆削り器の音がうるさいと言われ、怒鳴られたこともある。それでも父は優しかった。母もよく私を家から追い出した。家に入れてくれるのはいつも父だった。寒かっただろと言って風呂に入れてくれた。先端恐怖症で包丁が怖いからと言って父の作るご飯はいつも炒飯だった。ちびすけを寝かしつけるとき、背中や胸をトントンと叩いて寝かしつける。その瞬間いつも父を思い出す。父も私をこうして寝かしつけていたことを覚えている。小学校を遅刻すれば車で学校まで送ってくれた。自転車の乗り方だって教えてくれた。ひどいことだって沢山されたけど、私は小さな小さなやさしさをずっと覚えてる。
愛されなかったとずっと思っていた。だけどちびすけを育てて分かった。ちゃんと愛されていたと。愛してなければ育てられるはずもないし、私がここまで生きていられてなかったと。
私は父も母も大好きだ。嫌いになれっこない。
私は自分は不幸であると思いながら生きてきた。幸せになるのが怖かった。不幸だと思っていたかった。そうすることで自分を守っていた。幸せが怖いのは、いつか壊れてしまうことを知っていたからだ。いつか不幸になってしまうくらいなら、ずっと不幸でいたかった。傷つきたくなかった。幸せになったらなったで、つまらないなと感じた。自分には不幸が似合っていると思っていた。でも友達や好きな男は、私の笑顔を見て、「笑顔が一番似合う」と言ってくれた。私が笑えばちびすけも笑ってくれるようになった。幸せが怖かったけど、幸せになれてよかったと心の底から思う。いつか壊れてしまうなんて思う瞬間がないくらい幸せな毎日を送っている。愛されていないと悲観した私を浄化させてあげたい。暗い未来しか想像できなかった、20歳で死ぬと言っていた高校生の私は、22歳になった。これから瞬きする暇もないくらいのスピードでちびすけは成長していくだろう。そのうち寝返りをして、はいはいするようになるんだろう。来年の今頃には歩いて、外で一緒に遊んでいるのだろう。そう考えると、あの時死ななくてよかったと言える。死ねなかった私は不幸なんかじゃなかった。暗い未来なんかじゃなかった。
これから先、また辛いことがあるかもしれない。泣いたり、苦しんだりするかもしれない。でもそれでもいいと思える。ちびすけの成長を見届けるまで死ねなくなってしまったけど、それでいい。死にたかった頃の私はもういない。
最近
最近引越した。今の家はとても好きだ。日の光が入る家は好きだな。
札幌の生活にもずいぶん慣れた。好きな男にパソコンを自由に使っていいよと言われたのだが、スマートフォンがある今、パソコンで特にやりたいこともなく、暇つぶしにこれを書いている。今の家はテレビがあるから、東京に住んでいたころに買ったfireTVで映画でも見ようかなと思うが、これといって観たいものもない。こういう時、自分の関心が無さが寂しいなと思う。昔ほど何かに熱中することができなくなったし、熱中するほどのものもない。
映画館で近日公開の映画予告を観てああ面白そうだなとは思うけど、いざ観ようとすると何を観たかったのか忘れてしまう。本だってそうだ。好きな作家の小説でも気に入るまでに時間がかかる。聴いたことのない曲を聴く気にならない。なんだかつまらない人間だなあと思います。今まで誰かに合わせて生きてきたから、好きなことやっていいよって言われると極端に困る。やりたいこともないし、もちろん夢だってない。夢のある人が羨ましいと思うが、何かにチャレンジしてみようと思うような精神はない。暗い人間だな。
書きたいのはこんなことじゃない。まあいいか。ただの暇つぶしだから。
生活に変動があった。
早ければ9月から働くことになりそうだ。その間、ちびすけを好きな男が見ていてくれる。早く働きたいとは言っていたけど、こんなに早く働けるとは思っていなかったな。私は働いている自分が好きだ。キラキラしていたし、毎日汗臭くなりながらも充実していた。
もちろん当時はこんな風には思えなかったし早く辞めたいと思っていたけれど、いざ辞めると働きたいと思ってしまう。ない物ねだりだ。
12月末に仕事を辞めて家庭に入り、家事育児をやっているけれど、私は専業主婦無理だなと思った。ワンオペの母たちや何人も子供が居る母たちには尊敬の念しかない。家に籠るのは好きだけど、ずっと家にいなければならないとなると気の持ちようが変わってくる。よく、「家事育児だけやっていればいいから楽だよな」というセリフを耳にするが、やってみたらとんでもない。働いていたほうが100倍マシだ。自分の思うように家事を勧められないもどかしさ、いつまで経っても夜泣きの減らない息子、知り合いも友達もいない土地での孤独感。全部全部つらい。
ただ、私は好きな男は楽でいいよねといいたいわけではない。断じてそんなことは思ってないし、1mmも思ったことがない。家族を養うために働かなければならないプレッシャーに、私なら押しつぶされてしまうと思う。どっちが大変とかではないのかもしれないけど、感謝の念を忘れてはいけないなと思う。私が家族を養わなければいけない立場で、毎日朝から晩まで働いたら休みの日くらい寝かせてくれよと言いたくなるもんだが、好きな男は違う。
どんなに疲れて帰ってきてもちびすけの相手をしてくれるし、家にいるときはミルクあげるよって言ってくれる。文ちゃんはちびすけを見てるだけでいいからいいよねなんて言われたことないし、最近は炊事まで手伝うようになってしまった。私の負担を和らげるためだろうが、正直心配でたまらない。好きな男は「辛い苦しい大変」というマイナスの感情を私に絶対に言わないからだ。人に甘えるのが下手くそというよりは、甘えないようにしている気がする。私の負担にならないようにしてる気がする。好きな男は我慢の人だ。私はいつも心配してるんだよ。死なないでね、死んだら後追いするからねと言う私に、好きな男は笑って冗談に聞こえないからこわいと言う。
もし好きな男が人生に疲れてしまって、鬱になったり働けなくなったりしても全然いいやって思う。そうしたら私が働けばいいし、って思う。好きな男が生きていてくれたら私はたぶんそれでいい。
いつもすんなり幸せになれないんだよ、私。
好きな男との間にも大きな問題が立ちはだかっていて、それを考えて毎晩泣いた日もあったし、好きな男に思いをぶつけたり困らせたりした。なんでいつもすんなり幸せになれないのかなって思う。普通が遠いなって思う。まあそんなこと言っても現実起こってしまったことはどうしようもないんだけど。
私は好きな男に幸せにしてもらおうとか好きな男の金で食っていこうとか考えていなくて、むしろ私が幸せにしてやるよくらいの気持ちでいる。これを伝えた時もやっぱり笑われた。
昔から、一人でも生きていけるような人になりたいと思いながら生きてきたけど、実際は好きな男がいなきゃ生きていけないし、完全な他人依存型で情けないな。強い女性に憧れるけど、いったいいつになったらなれるのかしら。もしかしたらずっとなれないのかも。
いつでも、「今が人生で一番幸せ」って思う。もちろん今も思ってる。自己ベスト更新しまくってるって考えたらサイコーじゃない?好きな男とちびすけが居たら何もいらないなって思う。これは結構本気。私はわがままだから、この幸せが右肩上がりで一生続けばいいなって思う。
