'97

9月5日

 

23歳になった。

私には兄弟が私を含め5人いる。小さい頃、まだ父が居た頃。家族誰かの誕生日になると決まって食後のホールケーキが出た。私はチョコレートケーキが好きだったが、兄や弟はショートケーキのほうが好きだった。私は苺が苦手だったから、兄弟の誰かにあげていたと思う。母の誕生日はケーキは出ない。甘いの苦手だからとか、歳とっていくだけだし嬉しくないとか、そんなことばかり言っていた気がする。昔のアルバムに、小さい私たちがケーキの前で笑いながらピースをしている写真があった。そんなことでしか愛を確認できない。

 

20歳になったら一緒に死のうねと約束した人がいた。今はもう会うことも連絡を取ることもできない人。私の心の中の柱のような人。大切な人だった。そんな約束をしたもんだから、20歳を超えてからの人生は全く想定していなかった。本当に死ぬつもりなんてきっとなかったが、未来のことなど到底考えられるような精神状態ではなかった。

 

私の死にたいは「誰の心にも残らず綺麗さっぱり消えたい」だった。この世には死にたいと思ったことがない人が一定数いるということを知って私はひっくり返るくらい驚いた。羨ましいと思わなくもないが、どういう風に生きてきたら死にたいと思わず生きてこれるのか不思議でたまらないし、今でもその人たちの気持ちは分からない。否定しているわけではなくて、単純に理解ができない。気持ちは分からないけど、分かってみたいなとは思う。

話が逸れた。20歳で死ぬというのはありきたりだと思う。若くて綺麗なうちに死にたいとか、世の中に絶望して、とか、ありがちで陳腐だと思う。私は後者だった。本当に死ぬつもりなんてなかった。死にたくて消えたくて、でもできなくて必死に生きた結果が今だ。私が20歳で死ぬと言ったのは17歳の夏だったと思う。茹だるように暑くて、湿気で夜も寝苦しいような、そんな日だった。どこにも居場所がなくて、だれにも愛されないと思っていた17歳の夏。一緒に死のうねと言った人がどこまで本気だったかは分からない。でもその言葉は私にとって救いだった。だって終わりが分かれば頑張れるから。

 

あのくらいの年代の女の子は、死にたいと思う子は多いと思う。私は自分の思想や気持ちを誰かに伝えたり、困ったときに助けを求めたりするのがすこぶる苦手だった。幼少期にわがままを言ったり、何かをねだって買ってもらった記憶がない。ディズニーランドのCMを見ていいな行きたいなと言えば母は激怒した。そんなんに行けるほどうちは裕福じゃないとか、行きたきゃ一人で行けばいいでしょとか。習い事や部活もそうだった。習い事したってどうせ続かないでしょとか、運動部は金がかかるからやめてとか。そんな言葉で育った私は何を言っても否定されるから、何も言わなくなった。自我を通すより相手に合わせる方がよっぽど楽だった。母に何を言っても否定されたような気持になったし、何を言っても無駄だと思うようになった。私が何か言えば、母は「お前のせいで鬱病が悪化した」と言って精神科でもらった薬を沢山飲むし、お前さえいなければとか言うから、触らぬ神に祟りなしだなと思った。母が大好きだったけど死にたさはどんどん加速していって、でも死ねなくて、左腕に傷をつけた。流れる血を見て生きてる感じがするとか、そんなのはよくわからなかった。ただ自分なんて傷つけばいいと思ったし、実際傷を見ると落ち着いた。傷のある自分が好きだった。多分、理解されないだろうけど。

 

20歳で死ぬと言ってから、3年が経ってしまった。しかも子どもまで産んでしまった。どうしよう、とうとう後戻りできない。軽率に死のうとできない。死ねなくなっちゃったな。昔に比べて、死にたい気持ちはもうあまり残ってないけど、私は死にたい自分が好きだった。これも理解されないだろうけど。不幸でいると安心する、幸せはいつか壊れちゃうから。今まで付き合ってきた男の人はみんな「文ちゃんが居ないと死んじゃう」って言うけど、ちびすけは本当に私が居なくなったら死ぬ。少し目を離したら簡単に死ぬ。そういうものを生み出してしまった。これは責任だなぁ。ちびすけを産んだことを後悔しているのではない。死ねなくなっちゃったなぁっていう、そんな気持ち。私が42歳になったらちびすけが20歳になる。だからそれまでは生きようかなって思ったけど、20歳で親が死ぬのは辛すぎるので、50歳まで生きよう。そんなくだらないことを考えている。

 

20歳の時は、介護を辞めると思っていなかったし、4年半付き合った恋人と別れるとも思っていなかったし、母がこんなにいい「母」になると思っていなかったし、子どもが生まれるとも思っていなかった。私、20歳で死ななくてよかったな。

好きな男が「文ちゃんは俺に出会うために生まれてきたんだよ」「死にたかった俺を救ったのは文ちゃんだよ」と言う。そんな大袈裟なとも思うが、もしそうならあの時死ななくて本当によかった。死にたかった好きな男に「一緒にいられたら何でもいいや」と言った私ナイス。全く覚えていないけど。0時半を回った頃、眠っていたはずの好きな男が2階から降りてきて、開いてない目で「誕生日おめでとうございます」って言うから笑っちゃったな。自分が生まれた日を大切な人に祝ってもらえることは幸せだなと思う。幸せはいつか壊れちゃうのかもしれないけど、この幸せだけは壊れないでほしい。

 

チョコレートケーキ食べたい。