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ちびすけ

 

 

ちびすけが生まれて、4ヶ月。あと半月で5ヶ月になろうとしている。早いなあ。

 

今のちびすけは

ミルク→200㏄(飲まなければ数分後温めなおすと完食)

睡眠→午前中は2時間程度寝たり寝なかったり夜は20時~2時・3時に一度起きてその後朝まで寝る

お風呂→生まれた時から大好き

散歩→ほぼ毎日、散歩も大好き

 

大体はこんな感じだ。

 

ちびすけは寝るようになった。本当に。生後1ヶ月から3ヶ月までは夜全く寝なかった。夜中から明け方にかけてようやく寝る生活を繰り返していた。あの時は流石に辛かった。

よく、“ 子どもの泣き声で起きない旦那を蹴り飛ばしたくなる ” と母たちが言うが、それは本当にそうだった。だけど、私は好きな男に対する怒りよりも好きな男を寝かせてあげたい気持ちの方が強かった。でも「頼むから泣かないで、好きな男を寝かせてあげて、仕事で疲れてるの、お願い」なんてちびすけには伝わらないし、ちびすけの知ったことではない。ちびすけの夜泣きで好きな男を起こしてしまうことが何よりも苦痛だった。好きな男は優しいから、大変な時は起こしていいんだよと言うが、私にはそれもできなかった。

 

真っ暗な部屋でちびすけと二人ただただ孤独だった。夜が永遠に終わらない気がした。時計の秒針ばかり見ていた。毎日夜になると怖かった。どうしたらちびすけが泣き止むのかわからなかった。オムツも替えた、ミルクも満腹まで飲んだ、でも寝ない。何が悪い?部屋の温度か?調節しても寝ない。なんでだろう。どこか痛いのかな。辛いのかな。そんなことばかり考えていた。抱っこしている間はうとうとするが、布団に下せばギャン泣きされまた一からやり直し、ずっとそれの繰り返し。夜中中ずっとそれだった。

 

ちびすけの泣き声で頭が痛くなる。鼓膜が破けそうだ。精神的に辛かった。なにをしても泣き止まないちびすけをひっぱたきたい衝動に何度も駆られた。うるさいんだよと大声で怒鳴りつけてしまいそうだった。腕の中で泣き叫ぶちびすけを布団に思い切り投げてしまいたかったし、ちびすけの口を手で塞いでしまいたかった。

そのくらいしんどかった。

そんな毎晩を送っていると頭がおかしくなりそうだった。ああ、これは鬱になるの分かるわ、虐待って他人事じゃないな、顔真っ赤にして泣いてるな、ちびすけも本当は寝たいんだろうな。私は暗い部屋の中で体育座りをして、泣き続けるちびすけをジッと見ていた。体育座りをして、両の腕で自分を抱きしめてた。そうすることで少しでも自分を守っていた。自我が崩れないように必死だった。

そんなことをしていると、流石に好きな男もちびすけの泣き声で起きる。ちびすけを任せて、荒々しくベランダの窓を閉め、室外機の上で体育座りをして何度も一人で泣いた。

怖かった。

自分が自分でなくなるようだった。母が私にしてきたことを、私もちびすけにしてしまうかもしれない。殴ってしまうかもしれない。いつかちびすけをこの手で殺してしまうかもしれない。ちびすけは何も悪くない。私を困らせたくて泣いているわけでもない。そんなのは頭で十分わかっている。頭では理解している。それでも感情が抑えきれずに殺してしまうかもしれないと本気で思った。怖かった。生まれて数ヶ月のこんなに小さい赤ちゃんにすら優しくできない。自分には母親になる資格がないんじゃないか。自分は悪なのだ。私は自分のことを心底軽蔑した。

 

朝日が昇る頃、ようやく眠れたちびすけの顔を見て、またボロボロ泣いた。ああ可愛いな、大好きだな、こんなに好きなのに、命に代えても守りたいと思うのに、どうして優しくできないんだろう。毎日毎日、日を重ねるごとに自分のことが嫌いになっていった。汚い部分ばかり見えてしまって。自分なんか死ねばいいと思った。死にたいと思った。優しくできない、笑えない自分はいなくなればいいと思った。そんな毎日だった。

 

3ヶ月半を過ぎた頃、ちびすけは徐々に夜眠るようになった。今ではあまりに寝るのであれ?大丈夫?死んでないよね?と確認しに行くほど寝るようになった。あんなに夜泣きに苦しんでた期間は、他の人と比べたら多分そんなに長くない。でも本当にしんどかったな。

ちびすけがどうしたら眠れるか携帯で調べまくった。「部屋の電気を暗くして昼は起きる夜は寝るという習慣をつけるといいです」なるほど、やってみよう。部屋の電気を消して、豆電球にしてみた。余計寝なかった。火がついたように泣く。なんでだ。もしかしてと思い、調べる。「赤ちゃん 暗いところ 怖い」やっぱりと思った。

暗いところが怖い赤ちゃんもいるんだ。周りに子育てをしている友だちもいなければ頼れる大人もいなかった私にとってネットは救いだった。ネットのあるこの時代が子育てを出来ることに心から感謝して、明るめのオレンジの簡易照明をつけるようになった。他にもいろいろ気付いた点があった。ちびすけが起きそうになった時に枕を直してあげると再び寝ること、モロー反射で寝付く瞬間に手がビクッとなって起きてしまうのでお包みをすると眠れる、抱っこだと寝る、揺れてると眠くなるから膝に乗せてずっと揺らす、ドライヤーの音は胎児だったころに聞いていた音に近いから安心して眠れる。マジネット感謝。ちびすけは一人では寝たがらないのでベビー布団は初めの1ヶ月しか使わなかったな。高かったのにな。

最近の寝かしつけは腕枕をして声をかけながらひたすら背中をトントン叩く。眠たきゃスッと寝るし、寝ぐずりして足で蹴ってどんどん上に行ったり暴れたりするときは寝ないので宥めてまた腕枕をすると寝る。ずっと抱っこできる体重でもなくなってきて、私も横になりたいから前々からどんなに泣き叫んでも寝の体制として習慣にしてきた。それが今は実を結んで本当にハッピー (急にバカっぽくなる) 

眠い時にお包みに包むと一人で寝る姿を見て今でも感動する。お包み開発した人に土下座して拝み倒したい。

 

ちびすけは元々ニコニコする子だけど、声を出して笑うようになってきて、もう尊過ぎて死ねる。天使でしかない。語彙力がなくてうまく伝わらないかもしれないけどこの世で一番きれいな笑顔で笑う。マジ泣きそうになるもんね。可愛すぎて。ハァ…好き…。

本当産んでよかった。この先離乳食拒否とかイヤイヤ期とかあって多分また病むけど、今のところ産んでよかった。未来のことは分からないけどね。夜泣きがひどくて、どれだけちびすけを憎く思っても、産まなきゃよかったという思考にはならなかった。だから自分の母親はどんな気持ちで私に産まなきゃよかったと言ったんだろうって考えて死にたくなった。

 

私は親につけられた傷が体にはない。だからかもしれないけど、どんな暴力よりも言葉の方がずっとずっと重いと感じる。もちろん殴られて痛かったよ。でもそれより、産まなきゃよかったとか死ねばいいのにとか、そういう言葉の方が今でもずっと辛い。

言葉は呪いだと思う。

どんなに幸せでも一瞬であの頃に引き戻されてしまう呪いである。そんなこと考えていた。でも、逆も然りなんだよね。

 

母親に内緒で中学校をサボって、どこかに行きたくてでもどこにも行けなくて、学校裏の川に一人でいるところを先生に捕獲されて、泣きながら家に帰った時に母親が私の頭を撫でて、泣くほど嫌なら行かなくていいと言ったこと。中学の入学式でお前が一番可愛かったと言ったこと。前から優しくていい子だったけど、介護職に就いてからもっと優しくなったねといわれたこと。遠い昔、リビングのカーテンを開けながら母が私に微笑んでおはようと言ったこと。私のことを想って、どうしてこの子ばっかりこんな辛い思いしなきゃいけないんだよと言って泣いてくれた私の大切な大切な人。何年会わずしても文ちゃん大好きだよという言葉を贈ってくれる友だち。文ちゃんもちびすけも世界で一番だと毎日言う好きな男。そういう優しかった記憶も私は忘れない。

 

言葉は武器だ。

人を癒すことも、傷つけることもできると思う。そしてそれが鋭利であればあるほど心に突き刺さることを私はよく知っている。だから私は言葉を傷つけるための道具として使いたくない。ちびすけの前ではいつでも優しくありたい。ちびすけをわざと傷つけるような言葉を使いたくない。愛されて育ってほしいし、ちびすけに大好きだよと言いたい。正直まだ照れくさい。男の子だから、ある程度大きくなったらうざがられるんだろうな。寂しいな。優しい子に育ってほしいな。欲張りかな。

 

おわり!!!!!!疲れた!!!!!!