'97

軌跡

恋人と付き合って4年が経った。4年。4年かあ。感慨深い。

 

私がどれだけブスでもメンヘラでも恋人に捨てられない理由は一つしかないとおもう。

 

私がまだ17歳だった頃、恋人と出会って3ヶ月の頃。私が14歳から親交があった大切だった人と今後一切の連絡を断った。これから先、一生会わない、そう言われた。人間ひとりで二人の人間と同時に付き合って行くのは不誠実だ。どちらか選ぶべきだと言われて、大切な人は私が大切な人を選ぶと信じて疑わなかった。だからそんなこと言ったんだとおもう。私が選ばれる立場だったら絶対に言えないもの。

 

恋人と恋人関係にありながら、私は大切な人のことも大切に思っていて、会いに行ってた。一回や二回でなくて何回も。そこに男女の関係はなくて、保護者みたいな感じの関係だった。親にも友達にも言えない、私が感じていることをその人にだけは言えて、絶対にそれを否定しない、受け止めてくれる、そして答えを提示してくれる。だから楽だったし、自己肯定にも繋がった。

 

私が恋人を選んだ理由は、好きだったから。

ただそれだけ。

 

さっきも言ったけど、大切な人のことを男の人として見たことが一度もなくて、保護者のような、悪友のような存在だったのがひとつ。もうひとつは距離。電車で1時間かけなければ通えない距離だったし、当時高校生だった私には電車賃が痛かった。文ちゃんが望むなら週一で会える環境をつくるって言われたけど、そもそも好きっていう感情はなかったから、どうしてそこまでしてくれるのかわからなかった。これは本当に。

 

私が恋人と出会った頃、家にも学校にも居場所がなくて、常に孤独と同居しているような気持ちで、みんなは複数なのに私は一人で悲しくて死にたかった。

私は素直でないから、恋人と恋人関係になる前、恋人に助けてほしくて、孤独感から逃れたくて連絡したことがある。そしたら女と一緒にいる、駅まで送ってるって言われて、もっと死にたくなった。結局ひとりなんだなって思った。甘えられる側の人間の方がこの世界は有利に動いてるんだなって思った。私はいつも放って置いても大丈夫だろうと思われる側の人間だ。

 

その時に、私は何も言ってないのに大切な人がなぜかそれを察して、1時間半かけて会いにきてくれたことがあった。バイクで、わざわざ会いにきてくれた。くだらない話ばっかりしてた。文は待つのが苦手なのに、待っててくれてありがとうって言われたのを覚えている。

 

孤独な時に連絡して会いに行く関係は期間にして3ヶ月くらい、密にあった。恋人と付き合ってからもそれは続いた。その時に恋人を沢山泣かせてしまった。私は恋人のことが好きだったけど、自分が弱っている時に大切な人に沢山沢山助けてもらったから、放ってもおけなかった。

 

恋人に、ひどいことを沢山言われた。一番傷ついたのは、文ちゃんのこともう諦めたいって言われたこと。

「俺、もう文ちゃんのこと諦めていい?もう疲れた」

弱々しく、寂しげに笑った恋人。あの表情が脳裏にこびりついて離れない。恋人は自分に興味がなくて、誰かが幸せになるなら自分はどうなってもいいとすら思える人。「文ちゃんのしたいようにして。文ちゃんが一緒に居たいって思う限り俺はずっとそばにいるよ。一緒に居たいと思ってくれるならどんな時も離れない」そんな風に言えてしまう人。

傷つけたんだなってはっきり分かった。自分が誰かに傷つけられるよりも、自分が誰かを傷つける方のが心は痛むのだと知った。恋人と駅の改札で別れた後、ひとりになって沢山泣いた。恋人と離れたくないと思う気持ちと、私の孤独感を必死に埋めてくれた大切な人、どちらも私にとってはなくてはならない存在だったからだ。

 

恋人のことを沢山泣かせた。私は恋人に酷い言葉を沢山もらって呪いとして背負ったけれど、恋人はきっとそれ以上に傷ついた。私だって沢山酷いことをした。

泣いている恋人を置いて大切な人に会いに行ったこともある。「俺もう無理かもしれない。今日ベッドから起き上がれなくて、涙が止まらない」そう言われて私は居ても立っても居られなくて、大切な人に会いに行くと恋人に伝えた。黙って行くことの方が私にとっては不誠実だったから。恋人に「そんなにあいつが大切なのかよ。俺は文ちゃんにとってどういう存在なの」泣かれたのに見捨てた。

私だってどうしたらいいかわからなかった。どっちも手放したくなかった。どっちも大切だった。だけどそんな理屈は通用しないんだよね。恋人は私と別れたらこの先誰とも一緒に居られないと言った。私も恋人を他の人になんて渡すつもりなんてなかった。だけど、だけど。

 

あの時期は苦しかった。心も体も疲弊していた。沢山泣いたし沢山泣かせた。あの時の苦しみや悲しみや絶望や失望を、忘れることはできないと思う。

 

大切な人に言われた言葉で一番印象に残ってる言葉。最後に交わした言葉。

 

「一生幸せにな」

 

その言葉にどんな意味が込められてるか私はこの先一生知ることができない。もう会えない。私たちの人生が交わることはこの先、一生ない。本当に私に幸せになってほしいと思えたの?それとも見栄だったの?私にそう告げたあと一人で泣いていたの?ちゃんとご飯は食べられてる?元気にしている?笑顔になれてる?ちゃんと生きている?

 

そんな事も分からない。もしかしたらもう私のことなんて忘れて人生を歩んでるかもしれない。それとも、私のこと忘れられずに生きてる?

前者の方が、私は嬉しいな。

どうか幸せに、前を見て、必死に生きてほしい。笑われてしまうかもしれないな。住所も誕生日も血液型も知らない。だけど私たちは心で繋がっていた。今はもう会いたいとすら思わない。顔も声も忘れた。だけど私のために泣いてくれたあの夜のことはちゃんと覚えているよ。私のために涙を流してくれたのは大切な人だけじゃない。沢山いる。母親も、恋人も、学校の先生も、友達も、みんな私のことを思って泣いてくれた。抱きしめてくれた。大丈夫だよって言ってくれた。

 

忘れない。忘れたくない。

 

大切な人より、恋人を選んだこと。

3年前は後悔した。どうしてふたつを得られないんだろう。どうして大人にならなきゃいけないんだろう。どうして生きていかなきゃいけないのだろう、こんなにしんどいのに。

毎日泣いた。毎日泣いた。本当に毎日。

だけど、時間が経つにつれ、恋人と時を共にしてきて、結果論だけれど私の選択は間違っていなかったと思える。恋人を選んで良かった。幸せだよ。たまに嫌な事もあるけれど、不幸せではないよ。大丈夫。私は元気でしっかり生きている。

 

4年も一緒にいて、大好きだと思えて、これから先の人生を想像できるんだよ。3年前の私が聞いたらびっくりしてしまうだろうか。

3年前、大切な人を失わなければ恋人の大切さを分からなかったかもしれない。

 

恋人と別れなかった理由は、恋人が私を諦めないでくれたから。ただそれに尽きる。

あの時、私を諦めないでいてくれてありがとう。沢山泣かせたのに、好きだと言ってくれてありがとう。文ちゃんがいなくなったら俺は生きていけないって言ってくれてありがとう。嘘でも嬉しい。愛してくれてありがとう。「ずっとはあるよ、俺がつくる」と目を見て言ってくれてありがとう。ずっとをつくり続けてくれてありがとう。幸せです。多分この世で一番幸せです。

 

これから先、もし大きな壁にぶち当たっても、恋人となら乗り越えていける。恋人が私を諦めなかったように、私も恋人を諦めない。恋人の隣を私以外の誰かに明け渡すつもりもない。恋人の幸せは私が守る。大丈夫。懸命に生きていく。20歳を超えても、必死に生きていくから。