'97

泣かせないって言ったじゃん

 

「あんなに好きだったのにこんな風になってしまうなら、嫌いになる前に離れたい」

 

いつだかの日曜日、それは起こった。

突発的なものだったのか、或いはもっと前からそう思っていたのか。

 

初めて大切な人を泣かせた。傷つけるって分かってて傷つけた。自分が傷つくことよりも、誰かを傷つけることの方がよっぽど怖かった。

 

「もう無理なんだよね。あなたと居ると嗚咽が止まらないの。その物の言い方も態度ももう全部限界なの」

 

「私のこと下に見てるよね」「普通好きだったらどれだけ怒ってても人を馬鹿にするような言葉でないよね。」「母親としての自覚がないって普通そんなこと言う?」「障がい者なんじゃないのなんて言わないよね。」「それで好きって言われても分かんないよ、あなたの言う好きが私は分からない。」

 

「文ちゃんは自分だけが辛いとか自分だけが頑張ってるとか思ってるんでしょ?」

 

そりゃ思うでしょ。だって私とちびすけだけならこんなに頑張らなくていいもの。育児が楽とは思ってないよ。思わないけど、だけどそんな物言いしなくてもいいじゃんか。今月給料少なすぎるって言われてああ死にたいなと思った。何のために私は働いてるの?自分の洋服なんか買ってないよ。どこにも行ってないよ。誰とも会ってないよ。毎日家と職場の往復だよ。あなたの税金やら保険やら元嫁への養育費に消えてるんだよ。30万以上も消えてるんだよ。そんなん辛いでしょ。死にたいと思うでしょ。弱音くらい吐くでしょ。じゃあ仕事辞めれば、俺が働けばいいんでしょなんて言い方されたくなかった。介護だって好きで辞めたわけじゃない。辞めたいとは言ってたけど自分のタイミングで辞めたかった。また私から奪うんだね。「文ちゃん今日も頑張ったね」って、ただそれだけでよかったのに。二人で昼働いてちびすけ保育園に預けて、それが普通なんじゃないの?こんなのおかしいし普通じゃないよ。何回も言ったよね。預けるのはコロナが心配だからって言うけど、やり方なんていくらでもあったよね。チャンスも時間も沢山あったよね。

私はずっと普通になりたかったよ。

 

 

自分の気持ちを口に出したら止まらなかった。ダメだと思えば思うほど腹の底からどんどん溢れてきた。誰か私を止めてくれ。誰か私を助けてくれ。もう全部辛いんだ。死にたいとすら思うんだ。

 

出会って2年、子どもが産まれて1年と少し。

どうして今まで籍を入れてくれなかったの?どうして認知届すら出してくれないの?あなたは家族だというけど。何が家族なの?私が死んだらこの子はあなたの戸籍には入れないんだよ。法の元では私しかこの子を守れないんだよ。それなのに家族ってなんだよ。

私はちゃんとそれになりたかったのに。

 

 

それから旦那は昔話をした。

 

初めて出会ったのが2019年の7月20日

俺はずっと地獄にいたんだ。文ちゃんが俺を救ってくれたんだよ。生まれて初めて死にたいと思った。でも文ちゃんと居る時だけは全部忘れられたんだ。あの眩しい笑顔に何度も救われた。

転勤で北海道に行くことが決まって、文ちゃんは大好きな介護を辞めなくちゃいけなくなって、それでも一緒にいられるならいいよって言って着いてきてくれたこと。

北海道で一緒に住み始めるまでの2ヶ月間さみしくてさみしくて仕方なかった。文ちゃんは仕事の合間に毎日電話してくれて、俺明日も頑張ろうって思えたんだよ。

そのあと色々あって住んでた家を追い出された時も、文ちゃんは俺の心配ばっかりしてたよね。大丈夫?ってさ。私のことはいいから、一緒にいられるならそれでいいからって言ってくれたよね。全部全部嬉しかった。

文ちゃんのことが好きなのに、プロポーズした時に泣かせないし苦労もさせないし毎日笑わせるって言ったのに、こんな形になって本当にごめん。俺が一番望むのは文ちゃんとちびすけの幸せだから、全部、文ちゃんが決めて。

 

泣きながら、時々言葉に詰まりながら旦那が話すのをただただ聞くことしかできなかった。流れる涙も拭く余裕なんてなかった。

 

「俺は文ちゃんが今でもあの時と変わらず好きだよ。何もかも中途半端でずっと苦しめてごめん。そりゃ捨てられるわな。」

 

見栄っ張りでかっこつけな旦那が初めて見せた弱々しくて情けない姿。それから沢山話した。出会った時の些細な出来事。夜中に一緒に食べたカップラーメン。私が初めてあなたに作った手料理は肉汁うどんだったこと。妊娠が分かった時のこと。那須に二人でデートに行ったこと。子どもが生まれてからの日々のこと。私ずっと幸せだったよ。あなたと初めて出会った時、私死にたかったんだ。泣きながら死にたいんだって言う私の話をあなたは最後まで聞いてくれたよね。あの時俺、文ちゃんが死にたいって思わないようにしてやりてえなって思ったんだ。そう言って優しく抱きしめてくれたよね。

なんだかあの日がはるか遠い昔に感じるね。

 

このまま私が我慢すればなにも変わらず、これまで通りずっと幸せでいられるんだろうな。こういう時に本当の家族であれば腹を割ってここが嫌だったと話して、ごめんねって言いあって、また明日からよろしくねって言って何事もなかったかのように過ごすんだろうな。でも私無理だった。忘れないと思う。このままここにいたら心が死ぬと思った。心は死んだまま、何もなかったかのように過ごして、多分また繰り返す。だったら離れたい。私はあなたがいない方がずっと楽に、笑って、健やかに生きていける。心の余裕もできる。

 

嫌いになったとかじゃないの。ただ純粋にもう疲れたの。

私は誰かのために頑張れる人間だけど、誰かのための誰かに当てはまるのは多分あなたじゃない。守らなきゃいけないものを間違えちゃいけない。誰のために頑張っているか忘れるな。誰が私を奮い立たせてくれているか忘れるな。全部ちびすけだ。

 

この人となら不幸になってもいいと思った。働けなくなっても、病気になっても、私が働いて、私が支えればいいと思った。私が辛くてもだいすきな二人が笑っていてくれたらそれでいいと思った。でも、この人に不幸にされるのは違う。私を泣かせないと言ったこの人に泣かされるのは違う。苦労したっていいよ。一緒にいられるなら。全部いいよって言ってきた。全部許した。ずっと耐えてきた。でももう、無理だなあとぼんやり思ってしまった。

 

この感覚、懐かしいなと思った。4年半付き合った人の時もこの感覚だった。嫌いじゃない。でも好きか分からない。空気みたいな人で、いなきゃダメで。でも未来が見えなくて、体はあなたを拒絶する。もう終わりだなと思った。

 

不思議と、離れることが決まってから嗚咽する回数が減った。体は本当に正直だと思う。

 

耐えて耐えて耐えて、生き抜いて、その先に何があるというのだろう。結局毎回こうなってしまう。多分一生こんな感じなのだろうな。一生幸せになれないのだ。幸せだと思ってもいつかは崩れてしまうんだろうな。期待しない方が楽だな。望まない方が楽だ。こんな風になってしまうなら。

 

誰か助けてくれと何度も願う。ひっそり願う。誰にも聞かれないように小さく呟く。多分誰にも届いてほしくもない。もう全部疲れた。いなくなりたい。せっかく遠くに来たのに、また違うところへ行きたいと思う。誰も私を知らないところへ行きたい。一人になりたい。書いてて思うが、確かに母親としての自覚、ないかもな。

 

笑っちゃう。

 

2020年

 

2020年、めちゃくちゃ早かったです。気付いたらもう今年終わりですか?

 

去年も年末は家で過ごしたけど、紅白やらガキ使やらを見るのは何年振りか分からない。テレビっていいですね。

 

今年は10月まで専業主婦だったこともあって結構文字を書いた年だったな。おかげであまり言いたいこともないや。酔っぱらった時、母親に今私が抱えているすべてをぶちまけて、今の時期は難しいかもしれないけど早く帰っておいでと言われたのでいつも以上にホームシックになっている。兄とちびすけの写真やら動画を送り付けた時に、どの写真も全部可愛い、毎日大変だと思うけど頑張って、ちびすけが大きくなってて安心したと言われてなんだか泣きそうになってしまったな。10月から働き始めて、働くことってこんなに難しかったかなと感じるとともに、自分のダメな部分ばかり見えてしまって毎日しんどかったりします。お酒飲めるけどあんまり好きじゃないもんな。

 

ちびすけが生まれてから時の長さが1.5速くらいに感じます。高校の同級生が何人か結婚したり、子どもが生まれていたりして、もう大人になってしまった感が強い。23歳ってもっと大人だと思っていたけど、中身は高校生だった頃と何も変わっていない気がします。

 

2021年、ちびすけはもう歩けるようになっていて、喋れるようになっていて、今より沢山笑うようになっているんだろうなと考えると来年めちゃくちゃ楽しみです。こんなに未来が楽しみだと思えること今までの人生だったら考えられなかったな。子どもってすごいな。産んだこと1ミリも後悔してない。ちびすけが産まれてから大変だったこともそりゃあったよ。だけど、後悔してないな。行けなかった世界線とか、周りの自由さとか、息苦しさを感じることはあるけど、それはちびすけのせいじゃないし、毎日笑うちびすけを見て私も笑顔になれる。いい1年だったな。

 

来年も多分私の根の部分は変わらないんだろうけど、ちびすけの前ではずっと笑顔でいたいなあ。私の頑張る理由がちびすけであること、幸せに思えます。

 

来年いい年になるといいな。

 

おわり

 

いつか私の手を、親元を離れて生きていくわが子をいとしく、そして寂しく思う。

 

 

ちびすけは生後8か月を過ぎ、一人で座るのはもう完璧で、はいはいのスピードが恐ろしく速い。ちびすけの最近の趣味は、10秒ほどふらつきながらも支えなしで立つことらしい。私が見ていないところで、少しずつ、確実に成長していくちびすけを愛しく思う。

ちびすけが1歳になるまでもう半年もなくて、その間私たちは家族だから同じ時間を共に過ごすわけだけど、赤ちゃんから子どもになり、やがて大人になるちびすけは今過ごしている記憶をすべて忘れてしまう。当然私も赤ちゃんだった頃のことを覚えていないし、そういうものなんだろう。寂しく感じる。写真を沢山撮るけど、写真なんていうものはちびすけと過ごした日々の、ほんの一瞬でしかない。隣で寝息を立てるちびすけを見つめて、ああこのまま時が止まればいいのにと思う。このまま一生、守られて、幸せに、どうかと願う。この子が不幸になりませんように。悲しい現実に涙を流しませんように。人の優しさに触れて生きていけますように。誰かに敵意を向けられて傷つけられませんように。愛されて生きていけますように。ああこのまま時が止まりますように。

だけど、どれだけ願っても時が止まらないことを私は知っている。これから、ちびすけは大きくなって、沢山笑って沢山泣いて生きていくことを私は知っている。できるだけ幸せでありますように。愛されて、笑顔の絶えない毎日を送れますように。

重い上に欲張りすぎかな。

 

私がちびすけの幸せを祈るように、私の親も、もしかしたら同じように、幼い私の寝顔を見てどうか愛されておくれと願ったのだろうか。そうだといいな。

親元を離れてほしくないと思ってしまうのは、愛なのか、親としてのエゴなのか。私の子どもはちびすけしかいない。このまま子どもがちびすけ一人だけだったら、本気で毒親のようになってしまいそうだから、あと二人くらいは子どもが欲しいな。私の溢れんばかりの愛情を分散させなくてはいけない。そんなくだらないことを考えている。

 

本当に、一年前では考えられないほどちびすけのことが好きで困ってる。こんなに好きになると思っていなかった。心の準備もできていないまま生まれ、嬉しいとも思えなかった自分を後ろめたく感じる。産んだこと、本当に一ミリも後悔してない。ちびすけがいなければ、もっと違う、180度違う未来が私を待っていたんだろうけど、もう戻れない。たまに、戻りたいと思うこともあるけど、ちびすけの顔を見たら私の下選択肢は間違っていなかったなって思ってしまう。私の顔を見るだけで笑顔になるこの子がいなかったら、私は今頑張れていないなあ。ああ大好きだな。あと20年はちびすけと一緒に生きていくって考えたらなんかすごいよね。すごくない?未来が保証されているって、なんか、すごいや。 

 

 

最近

眠るのがこわい。眠る瞬間、意識が飛ぶ瞬間のことを考えるとこわくなる。私だけだろうか。

ちびすけと散歩するようになって歩き煙草する人を邪魔だと思うようになった。自分はアレだったのだと思った。

今の今まで手に持っていた物を次の瞬間無くす病気を患っている。病気だろ。

surfaceのキーボードどっかいってiPhoneから書いてるけどめっちゃめんどくさい。書くのめんどくさい。

 

多分ちびすけの泣き声で苦情がきて、同じ階の角部屋にプチ引っ越しをした。子どもの泣き声うるさいし、私もちびすけが生まれるまで苦手だったから気持ちは分かる。でもこういう時、ああ生きづらいなと思う。引っ越しといっても間取りが一緒だから荷物を移動させるだけなんだが、普通に疲れた。めちゃくちゃ疲れた。あーーーー、生きづらいな。

 

母と妹は仲が悪い。妹は両親のことが嫌いだ。母は不器用で、自分の気持ちを誰かに伝えるのが本当にへたくそ。大切に思っていても伝えられない。妹が1週間ほど家に帰らなかった時、心配で捜索願いを出そうとし、叔母に相談し、いとこに居場所を知っている人がいないか捜索を頼み、遠方にいる私に連絡をしてきた。私は妹に母が心配していることを伝えた。母のことだから、どこ行ってたのとか、これだからアンタはダメなんだとか言いそうだと思った。妹は思ったことを言えてしまうから、喧嘩になり仲が余計に拗れるのではと心配していた。後日、妹に「心配した、事件に巻き込まれたんじゃないかと思い気が気でなかった、無事で本当によかった」と伝えた、安心して泣いてしまったと言われた。

 

羨ましかった。

 

私にはそんなこと言ってくれたことなかったから。母と妹が普通の家族みたいに見えて、自分は蚊帳の外にいるようで、母と私は家族になれなかったようで、羨ましかった。何回もこの感覚に陥る。なりたかったけどなれなかった家族。普通。

私が高校生だった頃、妹と同じようなことをした。母は今ほど優しくはなくて、私の髪を引っ張って怒鳴り散らした。もうこんなことがないように、私が一緒にいた人と連絡が取れないようにした。まるで親として当然のことをしたというような顔で、当たり前のように。もう何年も前のことだ。あの頃に比べたら母はよっぽどいい母になった。

 

父と母が離婚したのは、今から13年前。妹はまだ未就学で、離婚した理由も父との日々も記憶にない。妹は何も知らない。何も知らないから嫌いなんだと思う。父は養育費を払っていないし、会いに来るわけでもないから捨てられたって思うのも無理はない。でも私は父と過ごした記憶が少しだけあるから嫌いになれないし、捨てられたとも思わない。私、長女で良かったかもな。父や母を憎まずに済むから。

 

好きな男が仕事を辞めたいと言った。一応理由を聞いたらやりたいことではなくなってしまったと言っていた。

分かる。

これは偏見だけど、B型はやりたいことじゃないと続かないしモチベ皆無になる。全然いいんじゃないって言ったら、好きな男は文ちゃんはそう言うと思ったって笑ってた。

何回か辞める辞めないの話があって、その度に好きな方にしたらいいよって言ってた。もちろん本心だ。「給料が低いから辞めたい」って理由だったら反対してたな。好きな仕事だけど給料がって言うなら私も働くけど、気持ちの問題なら転職してやりたいと思える仕事した方がいいんじゃないかなって思う。

好きな男に養ってもらおうというつもりは無くて、むしろ心苦しいくらいだったから、これでいいのかも。もう少ししたら私と好きな男の立場が逆転して、私が働き、好きな男が専業主夫になる。好きな男は料理が壊滅的に出来ないし、ちびすけを寝かせられないから、少し心配してる。ただ凝り性で飽きない人だから家事掃除をやらせたらめちゃくちゃ部屋を綺麗に保つと思う。

 

ちびすけが生まれて早いもので半年が経った。ハーフバースデーおめでとうと言ったらニコニコしてた。分かるのかな。

他の赤ちゃんを知らないけど、ちびすけは本当によく笑う。赤ちゃんっていないいないばあで本当に笑うんだって思ったし、歩けなくても好きな男の方に頑張って近づくのすごいな。寝返りをするようになると目が離せなくなるというが、マジでそうだな。少し目を離すと縦に寝転がっていたのに90度に変形してるし、毎回面白い。

興味がいろんなところにあるみたいで、超泣いてて座らせたらナルト真剣に見始めたり、大人がご飯食べてると自分のご飯だと思うのか、好きな男が食べ物を口に運ぶ様子をずっと目で追うし、私が洗濯物干してるとキャッキャする。

どんなに泣いても私が抱っこすると泣き止むのは変わらなくて、ママ=安心なのかなと思う。パパ=遊ぶ人だから、好きな男とちびすけがセットの時は全く寝ないのも分かる。私が一人で買い物に行くとその間ずっと泣き、私が帰ってくる数分前に泣き止むという特技も持っている。

生まれる前、愛せるか心配してたけど全然余裕でマジで好き。

 

 

最近はそんな感じ。

 

 

 

 

祈り

 

介護士として働いていた頃、毎日誰かが死んでいた。

いや、大袈裟に言った。毎日ではないが、誰かが死ぬ。多い時には2.3人が一日に死ぬ。そういう場所で私は働いていた。患者さんは病気で死ぬ。死に方も死に場所も選べずに死ぬ。死ぬってどういう気持ちでどういう感覚なのか、私は分からないし知らない。有名な人が死ぬと、無名の人たちはなんで、どうしてと知りたがる。名も知れぬ人が電車の人身事故で死ねば迷惑だと言う。無差別な事故で死ねばあんまりだと嘆く。外野はいつだって身勝手で喧しい。

なんというか、死に方くらい自分で決めたっていいじゃないかと思う。生き方も死に方も自分で決めていい。よく知りもしない人が口を出していい問題ではないと思うのだ。

大切な人に生きていてほしいと思ってしまう。それは家族だったり、友だちだったり、私と何らかの接点がある人に対して思う。どうか死なないでと願う。でもこれはきっと私のわがままだ。

介護士として働いていた頃、患者さんが死ぬたびに泣いた。周りの職員が泣かないのを見て薄情だとは思わなかった。人間は慣れてしまう生き物だから。長く勤めれば勤めるほど、そうなってしまうようだった。でも私はいつも悲しかった。人間は後悔しないように熟考した上で選択して生きていくけど、目の前の患者さんが死んだとき、私の中に残るのは後悔だけだった。笑顔で送り出そうねと言われても涙で前が霞んで見えない。他の職員が頑張ったねと声をかける中、私はもっとなにかこの人の為にできたんじゃないかと後悔してしまう。だけどどれだけ手を尽くしても、どれだけ寄り添っても、いつも後悔してしまう。死なないでと何度も願った。でも人間には寿命があるから、いつかはみんな死んでしまう。私にはそれを受け入れるだけの器がない。私の寿命を分けてあげるから、どうか生きてと願った。でもそれだって私のわがままで、その人はちっとも望んでいないかもしれない。私はたぶん、人に対しての思い入れが強すぎるのだ。もし私の周りの人が自死したとして、やっぱりそこに残るのは後悔だけなのだと思う。もっと何かできたんじゃないか、でもそれすらも迷惑だったのかもしれない、とか、そんな感情だけが残るんだと思う。

 

大切な人たちへ

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この歌を初めて聴いた時、泣いてしまった。他人に対する私の気持ちはこの歌だった。 どうか死なないで、耐えて生き抜いて、ただひたすらそんな気持ち。

 

先日職場の先輩から、私が大好きだった患者さんが亡くなったと聞かされた。ああ、そうかとしばらく放心した。そうか、と。私は冷たくなった体を知っている。一切の熱を持たない、何物にも形容しがたいあの冷たさを知っている。私の名前を呼んで、私に笑いかけてくれて、心配してくれて、好きでいてくれた人がもうこの世にはいない。久しぶりの感覚に戸惑った。一人で静かに泣いた。やっぱり、頑張ったねという気持ちにはなれなかった。頑張ったと思う。すごく頑張っていたのを一番そばで見ていたから、よく分かっている。それでも後悔が残る。仕事辞めなきゃよかったなとか、会いに行きたかったなとか、今更どうしようもないことばかり考えて悲しくなった。

 

忘れられない患者さんが何人かいる。それは私のことを大好きだと言ってくれた人や、異様に手がかかる患者さんだった。嫌いな患者さんなんか一人もいなかった。恵まれた環境で働いていた。

わたしは看取りが好きだ。私と患者さんは家族でもなければ友だちでもない。その人の人生に私は交わらないはずの人間だ。だけど、看取りはその人の人生の最期に関わることができる。私はそれが好きだった。私が最期、看取りたかったな。私が、送ってあげたかったな。でも実際その場にいたら泣いて仕事にならなかったろうな。苦しくなかったかな。会いに行くって言ったのに行けなかったな。そんなことをずっと考えてしまう。囚われてしまう。思い入れが強すぎて、多分ある意味介護職は向いていない。患者さんですらいなくなってしまえば悲しいのに、周りの人が居なくなったら耐えられそうにないな。この世の終わりくらい辛いんだろうな。みんな死なないでほしいな。でも、私のわがままだ。

 

もし、私の大切な人が死にたいと言ったら私はそれを引き留めないと思う。考えて考えて考え抜いてその結論に至ったのだろうと思うから。私はたぶん引き止めない。引き止められない。でもその事実を受け入れる勇気もきっとない。死に方は自分で決めていい。自分の人生を終わらせるタイミングは自分で決めたっていい。そう思うのに、どうしようもなく死なないでほしいと願ってしまう自分のわがままさに嫌気が差す。

 

死がどういうものなのか分かっていたらこんなに怖くないのかもしれない。自分が死んでもどうでもいいけど、周りには生きていてほしい。

 

命に嫌われている

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生きていてほしいな。ただそれだけ。

だけどそんなに簡単なことじゃないのも分かってる。 

no title

 

初めての離乳食。ちびすけは私たち大人が食べているものに滅茶苦茶興味を示していて、離乳食が楽しみだったけど、一日目はギャン泣きされて終わりました。ちびすけがうっわなんだこれって顔をしてから、ベッと全て口から出した後ギャン泣きするのを見て爆笑しました。親もこの道を辿ってきたのね・・・。離乳食の道のりは険しいって聞くし、トイレトレーニングとかも始まったら本当に大変なんだろうなと今から心配している。まだ寝がえりすらしないちびすけだけど、私も好きな男もまったく気にしていない。他の子を知らないっていうのが大きいんだろうけど、早産で生まれてきた時も大して気にしなかったから、たぶんこういう性分なんだと思う。

 

早ければ9月に働くかもしれないと言っていたけど、年内中に実現しそうで嬉しい。保育園はまだ話すら聞きに行っていないけど、結構空きがあるみたいで少し安心した。多分北海道だからそうなんだろうな。埼玉東京辺りじゃ大変だろうな。私はやっぱり介護職に戻りたいけど、ちびすけのことを考えたら変則勤務も夜勤もできないし、どうしても仕事の幅はグッと狭まってしまう。好きな男は私がどんな仕事に就こうがなんでもいいよって言う。「やりたいことやりな、そこに関しては口出すつもりはないからさ」って言う。そういうところ全然変わらないし滅茶苦茶好きだな。月10万もあれば大分豊かな生活ができると思うって言われたから、そんなに給与面で思い詰める必要はないんだろうけど、やっぱり介護職は安いし、でも介護職大好きだし、っていう葛藤に揺れている。事務とか出来る気しないし、接客も苦手じゃないけど、うーーーーんって感じ。

人の金で生活するのに罪悪感を感じて、自分の価値を見出せないという話を好きな男にしたら、やっぱり分かってもらえなかった。「俺だったら養ってもらえるなら全力で甘えるけどな」まあ、大半の人がそうだろうな。「なんていうか、自分の身の回りの物くらい自分で買いたいし払いたいし、自分のことで頼りたくなくて、自立していたいっていうか、なんかそれって対等じゃないじゃん」「俺は対等だと思ってたけど文ちゃんは違うの??」うーん、論点がズレる。「俺が仕事辞めて養ってって言ったらどうする?」「それは全然いいよ」あくまで自分の話なのだ。「文ちゃんが家のことをやってくれるから俺が仕事を出来ているわけで、俺は対等だと思っているし二人で稼いだお金だよ」・・・懐の広さエグくない?と言ったら笑ってた。

好きな男は沼のように甘い。デロッデロに甘い。なんかすごいよね(唐突に無くなる語彙力)

好きな男はいつも中立な立場にいて、私が専業主婦でもいいし、働きに出てもいいよ、任せるという。常に文ちゃんはどうしたいの?というスタンスでいる。それって普通にできないことで、これが年の功なのかと感心する。無関心なわけじゃないよと言って笑う。分かってるよ。

 

もし何もかもうまくいって、ちびすけが保育園に入ったら、どんな刺激を受けるんだろうか。私は昔の記憶があんまりない方だと思う。兄と私は幼稚園、弟から下の3弟妹は保育園に通っていた。幼稚園は制服があって、バスに乗って(超近くて2分くらいで着く)、いっぱい遊んで、楽しかった気がする。小さな小さな町だったから、みんな友だちで毎日が楽しかったな。どうでもいい話だけど、私の母は授業参観が嫌いだった。というかおそらく学校というもの自体が嫌いで、できるだけ近寄りたくない、みたいな意識が多分あって。授業参観に母は来ないだろうなと思い、周りの子がソワソワ後ろを振り向いたり、張り切って手を挙げている姿を冷めた目で見ていた。ふと教室の前のドアに目を向けると、普段着の母の姿があった。よれたTシャツに色あせたジーパンの母が私に手を振っていた。そのあとすぐ帰ってしまったけど、私はその一瞬がすごく嬉しかった。なんか、そんな小さなことをよく思い出す。

 

母に会いたいなと思う。母に会いたい。いつになるのかなあ。はやくちびすけに会わせてあげたい。ニュースで、お盆におばあちゃんに生まれた子どもを見せるために帰省しましたって言ってる人がいて、心底羨ましいと思った。母に会いたいな。

 

なんか、こんなことを書くつもりで開いたんじゃない。書いているうちにどんどん暗くなってしまうの、どうにかなんないのかな。

 

そういえば高校の友人がアマギフをくれたのでサーキュレーター買いました。サイコー。QOL上がりました。ありがとうございます。

言えない

 

「文ちゃんはさ、もう少し俺に甘えた方がいいよ」

 

そう言われてしまうのは何度目だろうと思った。

私は甘えられない。関係が近しいほど、信頼を寄せれば寄せるほど、甘えられない。嫌われたくないとか、こんなことを言ってしまったらという不安もある。でも一番は迷惑をかけたくないという気持ちだと思う。迷惑をかけたくない、手を煩わせたくない、自分で何とかしようという慢心である。

 

「思っていること言わないから、正直今文ちゃんが何考えてるか分かんねーわ」

先日好きな男に言われた言葉が胸に刺さって痛い。朝、些細なことがきっかけで好きな男に別れると言われた。冗談なのは分かっていた。好きな男が私を愛していることは知っている。本気で言っているはずがない。分かっている。でもそれだけは、冗談で言っていい言葉じゃないと思った。だからそっけない態度を取った。そしたらそんなことを言われて絶望した。「俺が悪いとか嫌だと思う部分があったならそれでいいけど、最近イライラしてばっかりで、何考えてんのかわかんない」そう言われた。私はいつも言われてしまう。4年半付き合った人にも、何度も何度も言われた。「思っていることを言って、話して、甘えて」と。私には4年半、ずっとそれが出来なかった。相手を信用していないわけではなかった。本気で嫌われるとも思っていない。これはただ、私の心の問題だ。

 

幼少期、親に甘えられなかった。だから今更どうしてに甘えたらいいのかわからない。私だって甘えたい。助けてって言いたい。でも甘え方を知らないのだ。どうしても言えない。どう伝えたらいいか分からない。私が休んでしまったら、好きな男が頑張らなくてはいけなくなってしまう。私が頑張れば済む問題、私が我慢すればいい、迷惑かけたくない、苦しい思いをしてほしくない、休める時休んでほしい。そんな気持ちばかり先行して、その思いとは裏腹にずっとイライラしてた。なんで私ばっかりって思ったらおしまいなのに、なんで私ばっかりって思ってた。あなたはいいよねって思ってしまった。ああ汚い。汚い自分が見え隠れしてしんどい。

 

「文ちゃんが俺に甘えられるだけの余裕がなかったかもしれない」「俺はすぐ甘えるよ。文ちゃんごめんちびすけ見てほしいとか、眠いから寝るわとか」「文ちゃんだけが悪いわけじゃない」

好きな男は優しい。すごく優しい。私を労わってくれるし、なにかやることはあるかと事あるごとに言ってくれる。私はそのたびになにもないよと言った。少しでも休んでほしかったから。でも呑気に眠っている好きな男を恨めしくも思った。自分が頑張りすぎてしまう方なのは理解している。でもどうやって息を抜いたらいいか分からない。働いていないことに負い目を感じている。家事掃除洗濯育児をしているだけで、辛いとか苦しいとか言ってはいけないような気がして。こんなこともできない自分はなんて情けないのだろうと思わずにはいられない。

 

甘えることが怖いのだ。嫌な顔をされたり、迷惑だと思われたり、疲れてんのになどと言われてしまったら立ち直れる自信がない。好きな男が在宅ワークで家にいるのに、朝起きたちびすけが泣き続けていることにイライラした。そんなに仕事が大事なのかと怒鳴りたかった。仕事と家庭は比べるものではない。分かっている。ちびすけが大事じゃないわけないのも分かっている。今手が離せない状況なのも重々承知の上だ。それでも毎日明け方にならないと眠れない私には酷だった。日中もちびすけが寝なければ私も眠れない。平日ならなおさらだ。少し寝かせてほしいと一言いえばそれで済む問題だったのに、言えない私はずっとムスッとした顔で、好きな男とも目を合わせず、イライラしていた。「可愛くない、直してほしい」と言われた。到底できる気がしないが、分かったと言わなければこの話し合いが永遠に終わらないような気がした。相手に何かを言われると、いつも責められてる気持ちになる。お前が悪いのだと言われているような孤独感に陥る。ああまただと思ってしまう。また相手に不快な思いをさせてしまった。好きな男を苛つかせてしまった。自分はダメなやつなんだ。しんどい。

 

好きな男が悪いわけじゃない。私自身の問題だ。4年半付き合った人にも何も言えなかった。やってほしかったこと、直してほしかったこと、一緒にやってほしかったこと、全部言えなかった。だからダメになった。言わなくても察してよなんて通じないのは分かってる。言葉にしなければ伝わらない。当たり前だ。分かっている。分かっているけど、喉の奥につかえたまま言葉が出てこない。相手の負担になりたくない。でも十分負担になっている。しんどい。

 

甘え上手な女はそりゃ好かれるわな、と思う。そりゃそうか。言いたいこと何も言わないやつより、思っていることを言って、考えを摺り寄せて、より良い方向を目指せるほうがいいに決まっている。分かるよ。私もそうなりたい。いつになったらなれるのか。いつになったら変われるのか。いつになったら私は私のこと好きになれるんだろうか。もしかしたらずっとこのまま変われないんじゃないか。ずっとしんどい。ずっと嫌い。自分が一番嫌い。好きになれない。多分一生。